“ダメだった自分”を超えたいあなたへ

このブログの全ては、自分を責めていた“あの頃の私”に向けて書いています。

『やんちゃな問題児』など存在しない。ただ"強み"を認められていない子どもが放置されてるだけ:やんちゃ対応の真実

※この記事の内容を2分で知るには以下の記事がオススメです。「今回の記事の本質」が詰まったサクッと版です。

 

『問題児』とか言ってビビってる場合じゃなかった…   教室を変えるための2つの視点

以前書いた記事「【※暴露します】『やんちゃな子どもに効果的な対応』11の間違い」を公開してから、多くの方に読んでいただきました。

 記事の閲覧回数から察するに、この問題に悩んでいる教師が少なくないことを実感しています。

そして、おそらく多くの読者が抱いているであろう疑問。

 

「じゃあ、実際にどうすればいいの?」

もしあなたが、この問いを抱えているなら。

今日の記事は、あなたのためのものです。

【追記】

「じゃあ、実際にどうすればいいの?」

この質問への一番シンプルな答えは、 ↓ 

「担任が、児童にとっての何者かになる」。

これです。

ある程度長く教師を続けてきましたが、結論。


ここができてないと正直なところ、

教師の言葉はほぼ全て、
子どもに刺さりません。


つらい現実ですが、これは多くの先輩が

初任者や若手教師に教えてくれない

現場のひとつの真実だと思います。

 

「じゃあ、その始めの一歩はどうやるの?」

という疑問に答えた記事を書きました。


「本気で実践する覚悟」さえあれば、

誰でも明日からすぐにでき、かつ

効果を実感しやすいやり方です。

 

SNSでバズる「キレイゴト」と厳しい現場の現実

今日もSNSやネット記事では
「教師が児童を変えるなんておこがましい!」
「教師にできるのは、子どもの可能性を信じることだけ!」
みたいな『正論』が、

大量の「いいね」を集めています。

「子どもに指示するな」
「考えさせることこそ、正義」
「一人ひとり違うから、共通の対応法なんてない」

といった投稿が"教育の正解"として扱われる光景。

はっきり言います。

厳しい現場では通用しません。

35人の子どもたちを前に
「子どもを動かさない」という選択肢は、
ただの無責任です。

集団は恐ろしい力を持ち、方向性を失えば一瞬で崩壊します。

 

教師一人や弱い立場の子どもを簡単に潰してしまう。

キレイゴトや美しい理想のみでは、教室を守れないのです。

 

しかし。

だからといって、私が以前に【よくある「やんちゃ対応」11の間違い】として批判したような方法を推奨するつもりは全くありません。

 

あの「11の方法」に共通する致命的欠陥は「子どもを操る」という発想にあったのです。

子どもの人格を無視し、教師の思い通りにコントロールしようとする姿勢はやはり根本的に間違っています。


私が後輩教師に伝えたいのは

「子どもを適切に動かす」という発想。

 

これは子どもの人格と強みを尊重しながら、
成長という目標に向かって、積極的に導くアプローチです。

 

「やんちゃな子」ではなく「承認欲求が強すぎる子」

実は、教室で起きる多くの問題は「やんちゃな子=クラスの厄介者」とラベリングした瞬間に、解決不可能になります。

それは、「やんちゃ君」と呼ばれるその子を「敵」とみなしてしまうから。

 

本来、教師にとって「敵対すべき相手」なんて教室には一人もいないんです。

いるのは「ニーズを持った子ども」だけ。

この視点の転換が、すべての始まりです。

このニーズを持った子というのは、今回の「やんちゃ君」も含め、普段から問題を起こさないいわゆる「普通の子」とされる子も当然含まれます。

そういった35人の集団を「成長」というポジティブな方向性に向かわせる意識(視点の転換)をもつことが、全ての始まりなんですね。

「子どもをコントロールしよう」という発想そのものは、いったん捨てましょう。


子どもたちは驚くほど敏感に、大人の「本音」と「建前」を見抜きます。

「この先生、俺たちを操ろうとしてる」。

 

こう感じた瞬間、子どもの心は閉じてしまいます。

では、本当に必要なアプローチとは何でしょうか?

 

それは「コントロール・操る」ではなく
「人格を尊重し、強みを認める」。


そして、そのために教師は

「積極的に子どもを動かす」という視点です。


【追記】
「積極的に動かす視点」については、以下でも書いています。私の教室での事例をもとに、実際の会話例に落とし込んで説明しているので分かりやすいと思うし、何より「教師のスタンス」「空気感」みたいなものを感じていただけたらと思います。

 

 

なぜ「強みを認める視点」が必要なのか

心理学者マズローの「欲求段階説」って、ご存知ですよね。

教員免許をもっているなら確実に何度も聞いたことある、あの三角形の理論です。

 

あれを、現場の教師である私たちの言葉で言い換えると:

  1. 基本的な安全・安心の欲求:教室が安全で、自分が受け入れられる場所かどうか
  2. 所属と愛の欲求:クラスの一員として認められているか、友達や教師との関係性
  3. 承認と尊重の欲求:自分の存在価値や能力が認められているか
  4. 自己実現の欲求:自分の可能性を発揮できる機会があるか

みたいな感じになるでしょう。

「やんちゃ」と呼ばれる行動の多くは、これらの欲求が満たされていないときに現れます。
特に「承認と尊重」「自己実現」の欲求が満たされない場合、子どもは別の方法でそれを満たそうとすると、これまでの経験から強く感じます。

つまり問題行動は単なる「悪さ」ではなく
「存在感のアピール」
であることがほとんどです。

 

やんちゃ君は承認欲求の「コップのデカさ」と自己主張能力の強さを持っています。

私は承認欲求を「コップ」みたいなものとイメージしています。

 

コップがどのくらい満たされているかで、その子の自己肯定感や有用感が決まる。
やんちゃ君は、このコップが人よりもデカいのでしょう。

 

たとえば、A君は20mL(他人からの小さな承認)でも満杯になるけど、やんちゃなB君は100mL入れても、まだ全然満タンにはならない。

満たすためには、それだけ大量の水(大きな承認)が必要。というわけです。


そしてこれは今年に限らず、これまでの担任との関係性の中で、なかなか満たされてこなかった過去、背景がある。

ネットでよく見る「やんちゃ対応11選!」みたいな記事に書かれてる対応法のほとんどは、これらの欲求を「抑え込む」ものでした。

  • 「褒める」→外的な報酬で釣る(褒めるのが悪い訳では無いが、「褒める一辺倒」では、本当の承認には届かない)
  • 「権威を見せる」→関係性の否定(所属と愛の欲求を損なう)
  • 「悪友から隔離する」→集団からの排除(所属と愛の欲求を完全に無視)

このような方法は、一時的には効果があるように見えても、長期的には子どものニーズを無視することになり、より深刻な問題を生み出します。

現場のリアルを直視しましょう。

「権威を見せれば従う」
「褒めれば動く」
「隔離すれば大人しくなる」

こんな単純な方程式で子どもが動くなら、

学級崩壊なんて起きません。

現実は、こうした「テクニック」が通用しない複雑な状況なのです。

「強みを認め、活かす」関わり方とは

「小手先のテクニック」vs「強みを活かす関わり」

「褒める」という行為一つをとっても、その裏にある意識によって効果は大きく異なります。例えば、以下のような感じ。

【小手先の対応】
「頑張ったね!」「今日はちゃんと座っててエライ!」

(表面的な褒め)

 

【強みを活かす関わり】
「この部分、すごく工夫してるね。どうやって思いついたの?」

(人格と思考プロセスへの興味)

 

シンプルですが、「やり方」ではなく「見方」が変わることで、子どもとの関わりは本質的に変化します。

 

「承認欲求のコップが大きい」という強みを理解する

「やんちゃは承認欲求のコップがデカすぎる」という特性は、実は強みとも言えます。例えば「人の注目を集める力」「場の空気を変える影響力」という強みの源泉だ、という捉えができそう。

しかし、彼らはその強みが理解されず、学年が上がるにつれて「満たされない」どころか「批判される」ようになってきた背景があるわけですね。

そこで、存在感という強みの活かし方について考えてみましょう:

【従来】

「彼は目立ちたがり屋だから、調子に乗らないように無視しよう」

「時々は鼻っ柱を折ってやって、潰しておくか」

(強みの抑え込み)

 

【強みを認める視点】

「彼の存在感への欲求は人一倍強いな。」

「どうやってこの強みを健全な形で活かせるか考えよう」

「そうだ。1学期のお楽しみ会でサプライズ出し物をやってくれないか、持ちかけてみよう」

(強みを、公の場で披露する場を設定する)

「人格尊重」と「強みの活用」の具体例

「問題行動」とされることも、視点を変えれば強みの表れだと気づくことができます。

 

【従来】

「また授業中に騒いで。本当に困った子だな」

(強みを否定する、スルーする)

 

【強みを認める視点】

「彼があそこまで騒ぐのは、コミュニケーション力という強みの表れかもしれない。どう活かせるだろう?」

「グループ活動の進行役を任せてみようかな。あの声の大きさと話す力は、みんなを引っ張るのに向いているはずだ」

(強みを使って、別の場で活かす方法を学べる機会を設定する)

 

このような見方ができるようになれば、

「やんちゃ=インフルエンサーの卵」

という視点が身についてきている証拠。

 

彼らを活かす方法が、いくつも湧いてきます。

※このことについては以下の記事で深堀りしてます。

 

彼らの強みを活かした役割を創出することで、クラス全体のプラスになる関係性が生まれます。

 

次年度以降への「本当の成長」につながる強みの伸ばし方

【従来】

「一年間大人しくしてくれればそれでいいや…」

(強みの抑圧、封印)

 

【強みを認める視点】

「今年の関わりが、彼の強みを正しく活かせる土台となるような関係性を築きたい」

「そうだ、本人に『1年後、どんな自分になっていたい?』と、落ち着ける場所で個別で話してみよう」

(強みを、さらなる強みへと押し上げる)

 

調教ではなく、成長を促す関わりは、
次の年度にも続く本当の成長を促します。

 

これらはすべて、子どもの強みを認め、その強みを活かす方向に動かしていく考え方です。

 

これから私が投稿していく記事では、強みを捉える視点や、強みの活かし方について具体的に紹介していきます。

とは言え、それぞれの特性やクラスの実態によって、活かし方は全然変わってきます。私の場合での事例を紹介しますね。

※私も実際に、「人格尊重」「強みを活かす」という本質部分は変わらないものの、子どもの実態に合わせて毎年調整を加えています。当然の事かもしれませんが、人間を相手にしている以上、テンプレにそのまま当てはめて活用できる!みたいなことはありませんので、「参考にしたいけど、どうすれば良いのか分からない…」「ウチのクラスのあの子の強みは、なんだろう…」と気になった場合は、一度連絡ください^^ 

 

「人格を尊重し、強みを認める視点」は特別なスキルではない

「人格を尊重し、強みを認める視点」は特別なスキルではなく、人間対人間の関係性の基本です。
つまり、意識すれば誰でもできます。

 

毎朝、教室に入る前にこう唱えてみてください。

「今日こそ、あのやんちゃの強みを見つけ出す」

「何かひとつ、絶対に見つけてやる…」

この決意が、あなたの教室を変える第一歩になるでしょう。

 

そして、最も重要なのは、

完璧を目指さないことです。

 

教師自身が「完璧な存在」を演じる必要はありません。

むしろ「失敗しながらも成長している姿」を見せることで、子どもたちに本当に「背中で語る」ことができます。

完璧な管理より「適度な混沌」の中にこそ、子どもの成長の機会があると思います。

教師も子どもも共に学び、共に成長するという

フェアな関係性を築くことが大切(対等、とは微妙に違う)

 

次回からの記事では、各場面ごとの強みを捉える視点や、強みの活かし方について具体的に紹介していきます。

 

それぞれの特性やクラスの実態によって、活かし方は全然変わってきます。

私の場合での事例を紹介します。

繰り返しになりますが、私も実際に、人格尊重と強みを活かすという本質部分は変わらないものの、やんちゃに合わせて毎年調整を加えています。

 

PS. 私が「コントロール・操る」から「人格尊重と強みを認める」視点に変わった瞬間

ここだけの話ですが、私がこの「視点の転換」に気づいたのは、ある意味で偶然でした。

ある年度、学級崩壊の真っ只中にいた私のクラス。特に手を焼いていたコウジくんは、授業中に突然立ち上がり、教室を飛び出すことが日常茶飯事でした。

あの日も、算数の授業中にコウジくんは突然立ち上がりました。私はいつものように「またか…」と思いました。

でも、その日は違いました。とても疲れていた私は、いつものように「席に戻りなさい!」と叱る代わりに、思わず本音が出てしまったのです。

「コウジくん…正直、先生はもうどうしたらいいか分からないよ。」

「君は一体、何がしたいの?」

これは「テクニック」でも何でもなく、ただの疲労からの本音でした。

すると、驚くべきことに、コウジくんは立ち止まり、こちらを見ました。そして、小さな声で言ったのです。

「トイレ行きたいだけなんだけど…」

その瞬間、私の中で何かがぶち壊れました。今まで彼を「問題児」として見ていた自分。彼を「コントロールしなければならない何か」として捉えていた自分。

実際には、彼は基本的な欲求を満たしたいだけだったのに。そして、その「立ち歩く行動」は、実は「自分の欲求を伝える勇気」という強みの表れだったのです。

「OK。行っておいで」と私が言うと、彼は静かに教室を出て行きました。そして、驚くべきことに、数分後には戻ってきて、席に座ったのです。

それからの数日間、私は彼の行動を「問題」ではなく「強みの表れ」として見るようにしました。立ち歩くときは「何か伝えたいことがあるのかな?」「彼の強みで置き換えると?」と考え、話しかけてみるようにしたんです。

その年のクラスには、授業中に立ち歩くコウジくんに加え、大声で注目を集めるタイプのユウタくんがいました。同じ「やんちゃ」でも、コウジくんには「探究心という強み」もあり、ユウタくんは「表現力という強み」がありました。

コウジくんには教室の後ろに「調査コーナー」を作り、ユウタくんには「司会進行」の役割を任せました。

その時ユウタくんに私が伝えたのは、以下の内容。

「ユウタくん。1週間後のお楽しみ会が盛り上がるかどうかは、君の腕にかかっている。」

「君が話すといつも、全員が君に注目するんだ。気づいてるかい?」

「みんな、君が話すことに興味があるんだね。」

「つまり。お楽しみ会は、君が司会を楽しむことで、自然とみんなが楽しめる会になるんだ。」

…分かるな?

その時の彼の眼。

一瞬ウルッ...として大きくなり、宙を彷徨って焦点の定まらないあの『眼』。

恥ずかしそうだけど、どこか誇らしげにも見えるあの『眼』。

そんな眼を、私は一生忘れられません(おそらくこういう『眼』をしている瞬間が、本当に子どもの脳内で快楽物質「セロトニン」が出ている瞬間だと思ってます)。

同じように見える問題行動でも、その子の強みを見極めて、まったく異なるアプローチが、彼らには必要だったんです。

翌年のクラスでは、同じように授業中に立ち歩くタクヤくんがいましたが、彼の場合は「リーダーシップという強み」だったので、全く別のアプローチで接しました。

最初は小さな変化でしたが、徐々に彼らとの関係は変わり始めました。そして、一番驚いたのは、私自身の気持ちの変化でした。

「調子に乗らせないよう、どこかで彼らを潰さなければ」というプレッシャーから解放され、むしろ子どもと「共に成長する」という感覚が生まれてきたのです。

これは決して「すぐに教室が天国になった」という物語ではありません。何度も失敗し、何度も落ち込みました。

各クラスには「やんちゃ君」と呼ばれる児童が1人とは限らず、それぞれに全く異なる強みがあります。私も実際に、人格尊重と強みを活かすという本質部分は変わらないものの、子どもごとに毎年調整を加えています。

でも、この「視点の転換」が、少しずつ私の教室を変えていったのです。

もしあなたが、いま教室で苦しんでいるなら。

ぜひ、一度この「強みを認める視点」で接してみてください。完璧を目指さなくても大丈夫。まずは一人の子どもから、一つの場面から始めてみればOKです。

あなたのクラスのやんちゃにも、必ず素晴らしい強みがあるはず。どんな強みがあるか見極めることが、解決の第一歩なんですよね。

そして、何か変化があったら、ぜひ教えてくださいね^^

次回は、この記事 ↓ の実践編

『子どもは褒めると変わります』は本当か? ラクなやり方に逃げた教員の末路…」の実践編として、「『褒め』に頼らない信頼構築法 ー 本物の『承認』が子どもを動かす理由と実践例」について書きますね。お楽しみに!また次の記事でお会いしましょう!

 

【追記】

更新しました。私のクラスでの実際の会話例を載せているので、具体的な空気感などイメージしやすいかと思います。