「否定から入る教師」が生まれる、教育界の構造的欠陥
「タツヤ君、座ろうか。」
「やだ。」
「座りなさい。」
「うるっせー!」
その瞬間、教室がシーンと静まり返る。
30人の視線があなたに集中し、心臓がバクバクと鳴る。
「何だその言い方は!!!」
また、やってしまった...
「『否定から入る教師』が生まれる、教育界の構造的欠陥」
こんな経験、ありませんか?
教育書には「まず子どもの気持ちを受け入れて」「否定から入らずに」と書いてあります。頭では分かっているんです。でも、現実は、そう簡単には行かないんですよね、、、
タツヤが授業中に立ち歩いて、「座りなさい」と言っても無視される。
ユウキが宿題を忘れて、「なぜ忘れたの?」と聞いても「知らん」と返される。
ハルトが友達を叩いて、「どうして叩いたの?」と聞いても「向こうが悪い」と言い返される。
そんな時、どうしても「でも、それは違うでしょ」「まず君が悪いんだから」と否定から入ってしまう。
本当は分かってるんですよね。
そんなことをしても、子どもたちは心を閉ざすだけ。
それでも、どうしてもやってしまう。。。
同僚の先生に相談しても、「もっと毅然とした態度で」「甘すぎるんじゃない?」と言われるだけ。ベテランの先生からは「私たちの頃は...」という話が始まります。
誰も分かってくれない。
一人で悩んで、教育書を読み漁って、でも現場では同じことの繰り返し。「私、教師に向いてないのかな...」そう思ったことはありませんか?
でも、待ってください
その悩み、実はあなただけの問題じゃないです。
「否定から入る教師」が生まれてしまうのは、実は必然なんですね。個人の能力や性格の問題ではなく、教育界の構造そのものに原因があるということ。
ここで立ち止まって、本当に大切なことを一緒に考えてみませんか?
この記事を読み終わる頃には、以下のことが分かります:
- なぜ優秀な教師でも「否定から入る」罠にハマるのか
- 教育界の4つの構造的問題とその深刻な影響
- 本当に必要な「意識改革」とは何なのか
「クラス」の背後にある「本当の構造問題」
構造問題①:管理主義教育の呪縛
まず最初に理解してほしいのは、私たち教師は「管理者」として訓練されているということなんですね。
大学の教育実習でも、初任者研修でも、とにかく「クラスを静かにしなさい」「秩序を保ちなさい」と言われ続けます。「静かなクラス=良いクラス」という評価基準が刷り込まれるということ。
でも、これっておかしくないですか?
タツヤが「うるせー」と言った時、私たちが最初に考えるのは「この子を静かにさせなければ」ということ。
タツヤがなぜそんな言葉を発したのか、どんな気持ちでいるのかを理解しようとする前に、まず「管理」を考えてしまう。
これが構造的問題の正体。
私たちは子どもを「管理対象」として見るように、システムによって訓練されているんです。だから、無意識に否定から入ってしまいます。子どもの言い分を聞く前に、まず「問題行動を止める」ことを優先してしまうんですね。
構造問題②:効率至上主義の罠
次に、現場の現実を見てみましょう。
30人のクラスを一人で見て、1日6時間の授業をこなして、その合間に生活指導もして、事務作業もして、保護者対応もして...。
この状況で、「タツヤの気持ちを理解するために、じっくり話を聞きましょう」なんて言われても、残念ながら、現実的には「不可能」です。
「そんな時間があるなら、さっさと静かにさせて次の授業に進みたい」
これが本音じゃないでしょうか?
でも、これも個人の問題ではありません。
一人の教師に30人もの子どもを任せるシステム自体に問題があるんですね。
効率を優先せざるを得ない構造の中で、私たちは「人間理解」よりも「時間管理」を選ばざるを得ない状況に追い込まれているということ。
「賛同できるポイントを探す時間なんてない」
それが「現実」。
構造問題③:教師養成の致命的欠陥
大学の教職課程で、何を学びましたか?
教育心理学、教育方法論、各教科の指導法...。確かに大切な知識ですが、一つ決定的に欠けているものがあります。
「子どもの心を理解する」実践的な訓練なんです。
理論は学びます。
「子どもの発達段階」
「学習意欲の高め方」
「問題行動の背景」...。
でも、実際にタツヤが「うるせー」と言った時、その瞬間にどう反応するか、どんな表情で向き合うか、どんな言葉をかけるか。
そんな実践的な「人間理解のスキル」は、誰も教えてくれませんでした。
だから、現場に出て初めて「理想と現実のギャップ」に直面するんです。頭では「否定から入っちゃダメ」と分かっていても、実際にはどうすればいいか分からない。
これも構造的な問題。
私たちは「指導技術者」として養成されているけれど、「人間理解者」として育てられていないだと、私は思っています。
構造問題④:評価システムの根本的歪み
最後に、最も深刻な問題(だと私が思ってること)をお話しします。
管理職や保護者は、何で「良い先生」を判断しますか?
「あのクラスは静かで規律正しい」「子どもたちがきちんと座っている」「授業中に立ち歩く子がいない」
こんな表面的な「静けさ」で評価されることが多いんじゃないでしょうか?
でも、本当に大切なのは違います。子どもたちが心から納得して行動しているか、一人ひとりの個性が尊重されているか、クラス全体に温かい関係性があるか。
そんな本質的な部分は、なかなか評価されません。
だから、私たちも無意識に「とにかく静かにさせなければ」「問題行動を止めなければ」と考えてしまいます。タツヤの心の声を聞くよりも、タツヤを静かにさせることを優先してしまう。
これが評価システムの歪みが生み出す、構造的問題なんですね。
本当に必要なのは「意識改革」
ここまで読んで、どう思われましたか?
あなたが「否定から入ってしまう」のは、あなたの能力や性格の問題ではありません。教育界全体の構造的問題の中で、そうならざるを得ない状況に置かれているからなんです。
だからこそ、必要なのは「指導技術」ではなく「意識改革」なんですね。
管理者から理解者: タツヤを「管理すべき対象」ではなく、「理解すべき一人の人間」として見る。
指導対象から対話相手: タツヤとの関係を「上から下への指導」ではなく、「人間同士の対話」として捉える。
問題児から可能性の塊: タツヤの「うるせー」という言葉を「問題行動」ではなく、「何かを伝えようとするサイン」として受け取る。
この意識の転換ができれば、自然と「否定から入る」ことはなくなります。なぜなら、タツヤの言葉の背景にある気持ちを理解したくなるからなんです。
明日から試せる小さな一歩
例えば、タツヤが「うるせー」と言った時、まず心の中で「確かに、同じ話を何度も聞かされたらイラつくよな」と一度受け止めてから対応してみてください。
これだけで、あなたの表情と声のトーンが変わります。タツヤも「あれ?いつもと違う」と感じるはずです。
「うるせー」と言ったタツヤに対して、「確かに、何度も同じことを言われたらイラつくよな」と自然に思えるようになります。「まあ、つまらない時間が続いてたもんな」と、タツヤの立場に立って考えられるようになる。
完璧にできなくても大丈夫です。最初は心の中で受け止めるだけでも、十分に変化が起きます。
これが意識改革の力なんですね。
あなた一人の変化が、未来を変える
もしかすると、こう思うかもしれません。
「でも、私一人が変わったところで、何も変わらないでしょ…」
違うんです。
あなた一人の変化が、クラスの28人の子どもたちの未来を変えます。そして、その子どもたちが大人になった時、今度は彼らが次の世代に影響を与えることになる。
この構造を変えるのは、政治でも制度でもありません。現場で子どもたちと向き合っている、あなたのような先生の意識改革から始まるのだと私は思っています。
タツヤ君が「うるせー」と言った時、あなたがどう反応するか。その一瞬の選択が、タツヤの人生を、そしてクラス全体の空気を変える可能性を持っているんですね。
でも、具体的な状況は一人ひとり違う
ここまで構造的な問題についてお話ししてきましたが、実際の教室での対応は、一人ひとりの状況によって違います。
あなたのクラスのやんちゃな子がどんな背景を持っているのか、今までどんな関係を築いてきたのか、クラス全体の雰囲気はどうなのか。
そして、あなた自身がどんな先生なのか、どんな強みを持っているのか、どんなことに悩んでいるのか。
すべてが違うんですね。
だからこそ、一般論だけでは限界があります。
今まさにタツヤのような子に悩んでいる、そんなあなたへ。
一人で抱え込まずに、私に話してみませんか?あなたの具体的な状況を聞かせてください。あなたのクラスの子どもたち、今の関係性、試してみたけれどうまくいかなかった方法...全て聞かせてください。
一緒に、あなたのクラスに最適な解決策を見つけましょう。
一人で悩まないでください。あなたの悩みを、詳しく聞かせてもらえませんか?
PS.
実は、私自身も現場にいた頃、同じような悩みを抱えていました。
特に印象に残っているのは、担任2年目の時のことです。クラスにいた勇太という子が、毎日のように授業を妨害するんです。注意するたびに「だって〜」「でも〜」と言い返してくる。
その度に私は「言い訳しないで」「まず自分の行動を反省して」と否定から入ってしまいました。関係はどんどん悪化していったんです。
ある日、勇太が「先生なんか嫌い」と言い放って教室を飛び出した時、私は完全に参りました。「私、教師向いてないんじゃないか...」そう思ったんです。
でも、その時にベテランの先生が教えてくれました。
「あの子、本当は先生に認めてもらいたいんだよ。『だって』『でも』って言うのは、自分なりの理由があるからでしょ?まず、その理由を聞いてあげたら?」
その言葉で気づいたんです。私は勇太を「管理すべき問題児」として見ていたけれど、勇太は「理解してもらいたい一人の人間」だったんですね。
次の日から、勇太が何か言い訳を始めた時、「そうか、君にはそういう理由があるんだね」と受け止めるようにしました。すると、勇太の表情が少しずつ変わっていったんです。
その後、勇太が初めて「先生、ありがとう」と言ってくれた時、涙が出そうになりました。
必要だったのは、新しい指導技術じゃなかったんです。勇太を一人の人間として理解しようとする、意識の転換だったんですね。
あなたも、きっと同じような経験をされているんじゃないでしょうか?クラスのやんちゃな子との関係に悩んで、「私のせいかも...」と自分を責めてしまうことがあるんじゃないでしょうか?
でも、あなたは一人じゃありません。あなたの具体的な状況を、ぜひ聞かせてください。一緒に、最適な解決策を見つけていきましょう^^