学級経営の悩みを『国語授業』で解決する?国語嫌いの子の目がキラッと光った瞬間に起きた奇跡
あなたのクラスに、こんな子はいませんか?
「静かにして」と言っても聞こえないふりをする子、
「教科書開いて」と言っても頬杖をついて窓の外を見ている子、
「発表してみよう」と言うと「めんどくせー」とつぶやく子...
「学級経営がうまくいかない」
そんな思いで検索してこの記事にたどり着いた先生へ。
この記事を読むと分かること:
- なぜ「国語授業」が学級経営の突破口になるのか
- 一人の子の目が光る瞬間から始まるクラス全体の変化
- 明日から使える「先生の言葉かけ」3つのコツ
でも、お伝えしたいのは「クラスをどうまとめるか」という話ではありません。
「国語の授業を楽しくする」ことなんです。
「は?何それ?」と思ったあなた、最後まで読んでください。
今回は「授業論」というより「具体的な授業場面で、どう学級経営につなげるか」という視点で書いています。
※授業論、というより学級経営の入り口としての授業、という視点ですね。
私も同じでした。どうやって子どもたちを「管理」しようかばかり考えていた。
ユウタ君のような子を見て「困った子だな」「どうやって言うことを聞かせよう」と。
その発想こそが、子どもの心を閉ざしていたことに気づいていなかった。
あなたも同じ苦しみを味わっているなら、この話を聞いてください。
私たちは無意識に「管理者」になっている
学級経営で悩む時、私たちは無意識に「管理者」になってしまいます。
「どうやってクラスをまとめよう」
「どうやって言うことを聞かせよう」
この瞬間、子どもたちは「統治されるべき対象」になってしまっている。
私がユウタに対してかけていた言葉を振り返ってみると...
「静かにしなさい」
「ちゃんと聞いて」
「集中して」
「みんなに迷惑でしょ」
「授業の邪魔をしないで」
これらは全て「管理者の言葉」でした。
そして、その結果はどうだったでしょうか?
ユウタはさらに机に突っ伏すようになった。
「どうせ俺なんて」という諦めの表情が深くなっていく。
クラス全体も萎縮し、発言が減っていく。
「統治下に置こうとする」対応が、子どもの心を殺していたんです。
あなたは今、どんな言葉をかけていますか?
国語の授業で起きた奇跡の瞬間
転機となったのは、ある国語の授業でした。
物語文の単元。いつものようにユウタは机に突っ伏していました。
でもその時、私は「管理者」ではなく「子どもを理解しようとする視点」で声をかけたんです。
主人公の気持ちを考える場面で、私はこう言いました。
❌管理者なら:「ユウタ君、顔を上げて参加しなさい」
✅理解しようとする視点で:「ユウタ君、この主人公と同じ経験したことある?」
ユウタ君がゆっくりと顔を上げました。
「...ある」
小さくつぶやいた瞬間、彼の目がキラッと光ったんです。
これが全ての始まりでした。
なぜ国語授業だったのか?
国語は、算数や理科等と違って「自分の考え」「自分なりの捉え方」を授業内容に反映する余地があります。
だからこそ管理や統制の必要がない、純粋な対話の場にできるんですね。
※授業場面を詳細にイメージした内容が知りたい方は連絡ください
※繰り返しますが、今回は「授業論」として言ってるのではありません。あくまで「授業内で、いかにして学級経営をするか」の視点です。個人的な興味で言えば、国語はいちばん学級経営に直結しやすい教科ですので、「授業論」についてもめちゃくちゃ語りたいのが本音です。相談や疑問、反論ある方はぜひDMください。
「子どもを理解しようとする言葉かけ」の核心
ユウタ君の目が光ったあの瞬間から、私は「管理者」ではなく「子どもを理解しようとする視点」で接することを意識し始めました。
その中で見つけた、言葉かけの核心をお伝えします。
本質1: 「管理」ではなく「関心」を示す
管理者は子どもを「従わせよう」とします。
でも子どもを理解しようとする視点では「なぜそうするのか」を知ろうとするんですね。
ユウタ君が授業中にぼんやりしている時:
❌管理者:「授業に参加しなさい」
✅理解しようとする視点:「今、どんなことを考えてるの?」
この声かけの違いが、ユウタ君との関係を少しずつ変えていきました。
管理しようとしていた時には、絶対に聞けなかった彼の本音を聞けるようになったんです。
本質2: 「統制」ではなく「承認」を与える
管理者は「間違い」を指摘します。
でも子どもを理解しようとする視点では「その子らしさ」を承認するんです。
ユウタ君が突拍子もない発言をした時:
❌管理者:「それは違います。みんなの迷惑です」
✅理解しようとする視点:「面白い視点だね。そう感じたんだ」
この瞬間、クラス全体の空気が変わりました。
他の子たちも「間違いを恐れなくていいんだ」と感じ始めたんです。
ある時、ユウタ君が物語の感想でこう言いました。
「なんか、主人公が可哀想で...でも頑張ってて格好いいと思った」
その素直な感想に、私はこう返しました。
「そうなんだ。どの言葉で、そう感じたの?」
※この後の展開については、また別の機会にお話ししますね。
なぜこの方法が学級経営に効くのか
ここで、本当に重要な問いを投げかけたいと思います。
「あなたは今、子どもたちを何者として見ていますか?」
管理者は子どもを「管理すべき対象」として見ます。
でも子どもを理解しようとする視点では「成長していく存在」として見るんです。
この視点の違いが、すべてを変える。
国語嫌いだったユウタの変化を見た他の子たちは、こう思ってくれたのだと思います。
「この先生は、僕たちを理解してくれる人だ」
授業以外の場面でも、子どもたちが自然と話しかけてくるようになりました。
休み時間の悩み相談、給食の時間の楽しい会話、掃除の時間の協力的な態度。
一人の子の目が光った瞬間が、クラス全体を変えていったんです。
実践する時の注意点
でも、正直にお話しします。私も最初は失敗しました。
「答えを引き出そう」と急いでしまったんです。
ユウタに「今度はこれについて発表してね」と言った時、彼は再び心を閉ざしてしまいました。
子どものペースを尊重することの大切さを、身をもって学んだんです。
実践する時は、以下の点にご注意ください:
・すぐに劇的な変化は期待しない(ユウタ君も変化を感じるまで時間がかかりました)
・他の子への配慮も忘れずに(このブログで何度も言っていることです)
・「管理者思考」に戻らないよう、常に意識する
明日の国語授業から始めてみてください
ユウタ君のことを思い出す時があります。
もし今でも会うことがあれば、彼はどんな風に成長しているでしょうか。
国語が好きになったかと言えば、正直まだそこまでではないかもしれません。
でも少なくとも、あの時の机に突っ伏していた彼とは違う姿になっていることを願っています。
私は知っています。私が変えたのではない。
ユウタ君の中にあった力を、ただ引き出しただけなんです。
あなたのクラスにも、きっとユウタ君のような子がいるでしょう。
表面的には「困った子」に見える子が。
でも、その子の中には、必ず何かがあります。
明日の国語の授業から始めてみてください。
「管理者」ではなく「子どもを理解しようとする視点」で。
一人の子の変化を見つけることから。
その小さな気づきが、きっとあなたのクラス全体を変えていくはずです。
あなたの選択が、教室の空気を変えていきます。
PS. 私が「管理者」をやめた理由
初任の頃の私は、完全に「管理者」でした。
子どもたちを「統制するべき対象」として見て、いかに効率よく授業を進めるか、いかに静かにさせるかばかり考えていました。でも気づいたんです。管理者として接している限り、子どもたちの本当の姿は見えてこない、と。
ユウタのような子は「問題児」としてしか映らない。彼らの心の中にある豊かな感情や、独特の視点や、誰かに理解されたいという切実な願いが、全く見えなくなってしまうんです。
国語の授業で初めて、ユウタ君の目が光った瞬間を見た時、私は驚きました。この子の中には、こんな世界があったのか、と。そして同時に気づいたんです。私が「管理者」として接している限り、この瞬間を見ることは絶対にできなかった、と。
あなたのクラスにも、きっとユウタ君のような子がいるでしょう。表面的には「困った子」に見える子が。でも、その子の中には、必ず何かがあります。ただ、それを引き出すには「管理者」ではなく「子どもを理解しようとする視点」で向き合う必要があるんです。
国語の授業は、その練習に最適な場所です。なぜなら、そこには「正解」よりも「気持ち」が大切な世界があるから。管理や統制ではなく、対話と共感が自然に生まれる場所だから。
もしあなたが学級経営で悩んでいるなら、まずは明日の国語の授業から始めてみてください。一人の子の目が光る瞬間を見つけることから。その小さな変化が、きっとあなたのクラス全体を変えていくはずです。
教室はそれぞれ違います。具体的な内容は個別で相談して。刺さる言葉が人によって違うように、子どもが求めているものも、担任のキャラやこれまでの指導の内容、クラスの状態等、すべてにおいて「最適解」があります。概要はお伝えできますが、その部分がズレたまま形だけ真似しても、うまく行かない場合があります。
一人で抱え込まず、一緒に考えさせてください。あなたの教室での小さな変化を、一緒に見守らせていただけたら嬉しいです。