【よくある『やんちゃ対応』11の間違い】
Part⑪:「リズム・テンポのある心地の良い授業」をしましょう。授業が楽しければ、やんちゃは安定します!
「リズム・テンポ」では浅い。やんちゃ対応で本当に意識すべきは『彼にとっての安心感』
リズムとテンポのある授業をすれば、
やんちゃな子の精神が安定する
教育現場でよく聞くこの言葉。
有料セミナーでは笑顔で紹介され、ネット記事では解決策として推奨され、ベテラン教師からも「当然」と言わんばかりに語られるこの方法。
でも、待ってください。
テンポ重視の授業をした放課後、あなたは教室に一人残って、上手くいかなかった授業の反省会をしていませんか?
やんちゃな子たちは今日も授業中、落ち着きなく動き回り、私語は絶えず、「リズム・テンポ」なんて言葉が虚しく響くだけではありませんか?
「テンポ良い授業できない…もっと上手くやらなきゃ…」
そう思って自分を責めていませんか?
やんちゃな子に必要なのは、単なる
「楽しい授業」「テンポのある授業」なのでしょうか?
そして、リズム良くテンポのある授業が、本当に
「出来た感」につながるんでしょうか?
表面的には正しく聞こえるこの言葉。
しかし、この考え方には致命的な欠陥があります。
それが「教師のための授業」なのか
「子どものための授業」なのかという、
根本的な視点の違いです。
「リズム・テンポのある授業」という言葉の裏には、
「子どもたちを黙らせたい」
「授業をスムーズに進めたい」
という教師の都合が隠れていないでしょうか?
やんちゃな子を「厄介者」として
管理対象にしてはいないでしょうか?
私も長年、この「リズム・テンポ」の呪縛に囚われていました。
その結果、多くの子どもたちを苦しめてきたことに気づかされたのです。
若手教師の苦悩:「完璧な授業」という幻想
「今日も授業がうまくいかなかった…」
教室から職員室に向かう廊下で、
あなたはため息をついていませんか?
私は若手時代、何度もそう思っていました。
国語の音読の時間、前の席のケンタくんが後ろを振り向いてニヤニヤ笑っている。
算数の問題演習中、マイさんとレイくんがヒソヒソと私語を交わしている。
何度注意しても、すぐに元の状態に戻ってしまう。
「私の授業がつまらないから?」
「リズムやテンポが足りないから?」
そんな自問自答を繰り返し、
セミナーに参加し、ベテラン教師の授業を見学し…
「完璧な授業」を目指して必死に努力しました。
でも、ある時から「現実」に目を向けてみました。
1年間で200日、1000時間以上の授業を行う教師が、
すべての授業で「リズム・テンポのある楽しい授業」
をすることは可能でしょうか?
答えはNO。
それは非現実的な要求であり、
若手教師を追い詰める無理ゲーだと諦めました。
「やんちゃ=敵」という根本的な誤解
ここで立ち止まって考えてみましょう。
私たちは無意識のうちに
「やんちゃな子=授業を妨害する敵」
「授業=子どもを管理する手段」と
捉えてはいないでしょうか?
「リズム・テンポのある授業でやんちゃ君の精神を安定させる」という言葉の裏には、「子どもを上手にコントロールして従わせる」という隠れた意図があります。
これは「操作」であって「育成」ではありません。
やんちゃな子が本当に必要としているのは「楽しい授業」ではなく「安心できる環境」です。
彼らは「この教室で自分は大丈夫なのか」「この先生は自分を否定しないか」という不安を常に抱えています。
「楽しい授業」は確かに重要ですが、それは
ごく一部の要素でしかありません。
やんちゃな子に限らず、子どもたちにとって
最も必要なのは「自分はこのクラスに存在していていいんだ」
という感覚です。
それを「楽しい授業」だけで実現できると考えるのは、
あまりにも浅すぎる捉え方ではないでしょうか。
リズム・テンポの本当の意味:予測可能性と参加感
では、「リズム・テンポのある授業」とは何なのか。
私の感じた本質は「予測可能性」と「参加感」にあります。
子どもたちは、「次に何が起こるか」が予測できる環境に安心感を覚えます。
特にやんちゃな子は、「今ここで自分は何をすべきか」が明確である授業構造を必要としています。
ベテラン教師の授業を見ると、確かに「リズム・テンポ」があります。でも、それは単に「楽しい」からではなく、「子どもたちが授業に参加している」「子どもたちが授業の流れを理解している」からなのです。
それは
「管理」ではなく「共同作業」といった感じ。
「操作」ではなく「育成」です。
子どもたちはロボットではありません。
「正しいテンポで操作すれば言うことを聞く」という
プログラムされた存在では、決してありません。
理想の授業:完璧ではなくても大丈夫
私がある日、算数の授業で失敗したときのことです。
計画していた内容が思うように進まず、時間配分も崩れ、授業の「リズム・テンポ」も何もあったものではありませんでした。
終わった後、いつも授業中に私語が多いタクヤくんが近づいてきました。私はネガティブな言葉をぶつけられるのでは…と覚悟を決めましたが、彼は意外な言葉を口にしました。
「先生、今日の授業、難しかったけど、面白かった」
彼は続けます。
「だって先生も一緒に考えてくれてたもん」
その時、私は気付きました。
完璧な授業でなくても、
「子どもへの敬意」があれば、授業は成立するのだと。
やんちゃな子を「問題児」ではなく
「クラスの一員」として見ることで、教室は変わる。
教師が「完璧な授業者」ではなく
「ありのままの自分」で子どもと向き合うことで、
関係性は深まります。
教室は「管理の場」ではなく
「共に育つ場」になる、と分かったんですね。
実践のヒント:安心感の作り方
では、具体的にどうすればいいのか。
私が思うに「リズム・テンポ」より、大切なのは
・「ここに居て良い」という安心感
・予測できること
・参加感
です。
例えば、授業の最初に「今日はこんなことをやります」と見通しを示す。
「これについて考えます」という、いわゆる学習のめあてですね。
※「学習のめあて」についても、実はけっこう「深い」です。冒頭でいきなりポンと出してしまっては、学習者にまったく「動機なし」の状態で授業が始まってしまう。それでは「参加感」は全く満たされません。が、今回は話題が逸れてしまうので、あえてそのへんをスッパリと割愛します。詳細は別記事でまとめますね。
現場ではよく「学習のめあてを書く意味が分からない」という悩みを相談されることがありますが、私の考えとしては「めあて」はかなり大事です。今回のように「やんちゃ対応」を意図するのであれば、なおさら大事。
「ここに居て良い、という安心感」を生み出すためのポイントが「予測できる」「参加感」だし、その手段の1つとして「めあての設定」ということになります。
「安心感」を生み出すためのやり方は、様々な方法があります。
例えば、発表を促したかったり
多くの意見を聞きたい時に限らず、
私の授業ではよく「ちょっと隣と話してみて」と言います。
当然、いきなり
「分かる人?」と聞くことはほぼやりません。
まずは近くの人と、自分の考え方や、いまの認識を確認する。
「自分の考えが違うの?」
「それとも先生が間違ってる?」
「もっとシンプルな方法あるんじゃね?」
みたいなことを確認させるためです。
もしくは単純に「俺はこう思ったんだけど!」
という考えのシェアの意味もあります。
まずは思ったとおりに話させてみる。
その次に
「何か言いたいことがある人?」
「ペアの考えに納得したから皆に伝えたいな、というのがある人?」
のような感じで聞いてみる。
ときには
「『何となく』分からないな?、って人?」
みたいな聞き方もします。
「う〜ん、先生の今の説明、難しかったよね?『先生、わからないよ!』って人?」という聞き方もあります。
とにかく「何でも言える場」にするんですね。
※繰り返しになりますが、長くなるので詳しくは別記事で書きます
これらは「技術」というより
「教師の姿勢」の問題です。
子どもたちを「操作する対象」ではなく
「共に育つパートナー」と見る姿勢です。
※「共に成長する視点」について、以下と合わせて読むと
より理解が深まるはずです。 ↓
やんちゃな子も輝く教室へ
「完璧な授業」を目指すのではなく、「子どもへの敬意」を大切にする。
これは決して妥協ではありません。
むしろ、教育の本質に立ち返ることだと思っています。
あなたはすでに十分に素敵な教師です。
ありのままのあなたで、子どもたちを育てることができます。
教師と子どもが共に成長する関係性は
「リズム・テンポのある授業」よりもずっと価値がある。
本来「学校教育」って、子どもを操ることがメインじゃなく、
子どもが自分で育つのを助けること、だと思うんですね。
・子どもを操るな、育てろ。
・「楽しい授業」はテンポじゃなく、「関係性」から生まれる。
PS.
私が「授業のテンポ」にこだわり続けた若手時代の話です。
新任2年目、私は「授業力」向上に取り憑かれていました。
教育雑誌で紹介されていた「リズム・テンポのある授業」に魅了され、ベテラン教師の授業を見学しては「どうやってあんな流れるような授業ができるのか」と悩み続けていました。
ある日の算数、私は教科書の例題を説明していました。計画通りに、テンポよく進めるつもりでした。
「教科書には何と書いてありますか?」
「式の順番を言いましょう!さん、はい!」
「まとめ、を皆で読みます、せーの…」
そうやって、私が板書を進めているとき。
背後で、ヒソヒソと小さな声が聞こえました。振り返ると、ケンタくんとダイスケくんが何かで盛り上がっています。
「静かにしなさい!」
私は思わず声を荒げました。クラスが一瞬静まり、私は「よし」と思い、授業を続けました。
しかし5分後、また別の場所で私語が…。そしてまた叱責。この繰り返しで、私の計画していた「リズム・テンポのある授業」は完全に崩壊していました。
その日の放課後、職員室で呆然としていると、隣のクラス担任の先輩が声をかけてきました。
「どうした?大丈夫か?」
私は正直に打ち明けました。「授業のリズムが作れなくて…」
先輩は「ほう…」という感じで言いました。
「ほんとか?2組の子、たぶんお前の授業が好きだぞ。ケンタもダイスケも」
私は「いやいや…」という感じで否定しました。
「でも授業中おしゃべりばかりで…」
先輩いわく
「彼らの話の内容って聞いたか?」
「その二人、この前の2組での研究授業のとき『これって、こうすれば良いんじゃん?』って話してた二人だよ」
何ということでしょう…
彼らは「おしゃべり」ではなく「相談」「予測」「検討」をしていたんです。
テンポの良い授業で「教え込む」ことばかり意識していた私の授業の合間を見て、自分なりの考えを話したがっていた。
「ザワザワにも種類がある」ことを、私はこの瞬間、初めて知りました。
数日後、私は意識を変えて授業に臨みました。「完璧なテンポ」を目指すのではなく、子どもたちとの関係性を大切にすることにしたんです。
ケンタくんが私語を始めたとき、私は一瞬授業を止め、彼の目を見て質問しました。
「ケンタくん、今どんなことを考えてる?」
彼は少し驚いた顔をしましたが、「この問題、別の解き方もあるんじゃないかなって…」と答えました。
「ほう…どういうこと?」
私はその「脱線」を歓迎しました。結果的に、授業は私の計画通りに進みませんでしたが、子どもたちは生き生きと参加していました。
その年度の終わりに、クラスの子たちがサプライズ(?バレバレでしたが…)でくれた寄せ書きに、ケンタ君の書いてくれた言葉が印象的でした。
「先生の授業はグダグダになることも多かったったけど、ちゃんと聞いてくれたから好きでしたよ」
この経験から私が学んだのは、「テンポのある授業」と「子どもとの関係性」は別物だということ。そして後者の方がずっと大切だということです。
こういった教室での具体的な対応や、やんちゃな子との信頼関係の築き方について興味がある方は、ぜひメールでご連絡ください。現場で積み重ねてきた経験をお伝えすることで、困った人のサポートになれたらと思います。