【よくある『やんちゃ対応』11の間違い】
Part⑨:やんちゃな子に出した指示が通らないと、教師の権威は失墜します。スモールステップで確実に通る指示のみ出し、確実に従わせましょう。
通らない指示は出さない?それが崩壊の一歩。やんちゃ君は「管理」じゃなく「関係」で変わる。
・やんちゃな子に『通らない指示は出すな』
・やんちゃが指示に従わないと、学級は崩壊します
・だからスモールステップの『通る指示』だけ出しましょう!
はっきり言いましょう。
この"対応法"が広まれば広まるほど、
教育現場は崩壊に近づいていきます。
"通らない指示を出さない"…これは指導でも教育でもありません。
これは「諦め」であり「降伏」です。
さらに深刻なのは、これは世間の教員に対する
不信感を加速させている可能性すらある、という点。
「教師は子どもを『管理』したいだけなのかよ…」
そう思われても仕方がない内容とも言えます。
あなたは「指示が通らない」と悩んでいるかもしれません。
でも、それは指示の"出し方"の問題ではなく
その子との"信頼関係"の問題がほとんどです。
そして残念なことに、その「信頼関係」は
「スモールステップの指示で、教師の指示に従わせる」
という浅い考えではとても構築されません。。。
若手教師なら誰もが経験する「指示無視」の痛み
「これから30分で問題を解いていくよ」
その言葉が教室に響いた瞬間、
リョウタくんは大きなため息をついて椅子を後ろに倒し、
「めんどくせぇ〜」と周りに聞こえるボリュームで呟きました。
プリントを配りながら「静かに取り組もう」と言っても、
彼は渋々と体だけこちらを向け、
すぐに隣の子とヒソヒソ話を始めます。
教師なら、1年目にほぼ確実に直面するこの場面。
全体に出した指示に従わないのは、
クラスのほんの数人だけかもしれません。
でも、その数人が教室全体の空気を変えてしまう。
そして、それが学級崩壊へとつながってしまう。
悲しいことですが、これはほぼ真実と言えます。
指示が通らない。
それは若手教師にとって、
「自分は教師として失格なのでは?」 という
深い自己否定にまで発展しかねない痛み。
しかし、
「通らない指示は出すな」
「できる指示だけを出せ」 という対応策は、
あなたの痛みを和らげるどころか、
実は奈落の底へと突き落とす呪いの言葉かもしれないんです。
なぜ「通らない指示は出すな」という対応が致命的なのか
なぜ「通らない指示は出すな」という対応が致命的なのか。
それは、この対応が以下の重大な誤りを含んでいるからです。
子どもの内面を完全に無視している
一番の問題点は、やんちゃ君が
「なぜ指示を聞かないのか」という、
子どもの心の内面を完全に無視していることです。
やんちゃな子が指示を聞かないのは、
「指示が理解できないから」ではなくて。
シンプルに
「この先生の話は聞くに値しない」
と判断しているから。
これは「指示の難易度」の問題ではなく、
「先生との関係性」の問題なのです。
ちなみに、保護者の視点で考えてみましょう。
「先生、うちの子の『内面』見てますか? 」
「それとも『管理』しやすいかどうかだけで判断してますか?」
そう問われたら、何と答えるでしょうか。
さらに、元やんちゃの大人がこの「対応法」を知ったら、
「先生に『従わせる』ことが目的だったのか…」
「俺自身の成長とか可能性とか、どうでもよかったんだな」
と、そう思うでしょう。
そもそも、やんちゃは能力値が高いことが多いのです。
他の記事でも触れていますが、多くの「やんちゃ君」とは、
高い知性や感受性を持ちながら、
それを適切に発揮できていない子どもたちなんです。
学級内に"分断"を生み出す
「やんちゃ」には簡単な指示のみ。
他の子には通常の指示。
この"差別的な対応"は、クラスの子どもたちに見透かされます。
「なんであの子だけ特別なの?」
という"静かなる反発"が生まれ、
教師の信頼は少しずつ崩れていく。
4月、5月にもし、従わない指示を出してしまえば、
それが「慣れ」になって、1年間ずっと従わなくなる
と、よくある「やんちゃ対応」には書かれていますが、
実際には「やんちゃに対して差別的な対応をすること」
こそが、 クラス全体の秩序を崩壊させる
本当の原因になってしまうんです。
指示が通らない本当の理由は「関係性の欠如」
では、どうすれば良いのでしょうか?
指示が通らないことに悩む多くの若手教師に伝えたいです。
あなたは悪くない。
従来の「管理型」指導に問題があるんです。
あなたが先に気をつけるべきは
「指示の出し方」よりも 「ラポールを形成するための関わり方」。
心理学では、人が誰かの言葉に耳を傾けるのは、
その人との間に「ラポール」と呼ばれる
信頼関係が構築されている場合だと言われています。
デール・カーネギーの著書『人を動かす』でも、
「人に何かをしてもらいたければ、まず相手に対して 誠実な関心を寄せることから始めなさい」という内容があります。
指示が通らないのは、 あなたがまだその子にとって
「話を聞く価値のある人」 になっていないだけのこと。
これって、子どもだけの問題ではなく、
大人社会でも同じですよね。
これまで親に「毎日コツコツやることが大事だよ」
「目標をもって頑張りなさい」と 散々言われてきても
鼻くそほじくりながら「へ〜」と流してきた人が
急に机に向かい、 壁に「10年後の目標!」を張り出して
実行する人が多かったり。
アンミカが「美容のために食べてます」と
ちょっと言っただけで、 苦手なトマトを買いに
イオンに走った人も多いはずです。
これは厳しい現実かもしれませんが、
同時に希望ともいえます。
なぜなら、
関係性は変えられるから
です。
「管理」から「育成」へのシフト
「通らない指示を出さない」という
消極的アプローチではなく、
「どんな指示でも通る関係性を作る」という
積極的アプローチを 私たちは目指すべきではないでしょうか。
このアプローチを身につけると、教室の風景が変わり始めます。
子どもたちは、あなたの言葉に耳を傾け始める。
それは「管理」されているからではなく、
あなたの言葉に「価値」を感じているからです。
子どもは成長します。
可能性は絶対につぶしてはいけない。
それを制限するような「対応法」に価値はないです。
教師として、「管理者」ではなく「育成者」に。
その意識がない限り、やんちゃ君は担任に
絶対心を開いてくれません。
関係性構築のための具体的アプローチ
では、具体的にどうすれば良いのか?
キーワードは「関係性の構築」です。
ここでは特に重要な一点を考えてみます。
【不信感のある人からの指示は誰も聞かない】
これは大人社会でも同じこと。
嫌いな営業マンから
「まずはこのパンフレットだけ見てください」
と言われても、「いらねえよ」となるじゃないですか。
信頼していない上司から
「ちょっと、これをコピー取っといて」
「まずは原稿をサイズに沿ってセットするんだよ」
と細かく指示されても、普通にイラつくだけでしょう。
子どもも同じなのです。 関係性があってこその「指示」。
私の経験上、関係性の向上が最も促進された(と感じた)のは
「個別の関わり」と「頼ること」です。
授業以外の場面で、
その子の興味に寄り添った会話をすること
や、
「◯◯君はみんなをまとめるのが上手。」
「その観点から私(担任)にアドバイスがほしい」
という場面を、意図的に作りだすことです。
※詳しく書くと相当長くなってしまうので、詳細は別記事にまとめます。
例えば、休み時間に5分でも意識的に声をかける。
「昨日のテレビ見た?」
「あのゲーム、最近どう?」 といった、
授業や指導とは関係ない会話はものすごく重要です。
やっぱり、人と人との関係性ですからね。
心理学者デール・カーネギーによると
「相手に誠実な関心を寄せる」ことは、
人間関係構築の基本だそう。
これは何十年も前から証明されている心理学の原則であり、
教室という社会、担任と児童との関係性でも
全く同じように機能します。
「なぜ指示を聞かないのか」を問うのではなく、
「何に興味があるのか」
「何を大切にしているのか」 に関心を向けることで、
少しずつ関係性は変わってくるもの。
これは「小手先のテクニック」ではないので、
正直、一気にガツン!!とは
効きません。
でも、教育の本質に関わる
重要な姿勢の変化です。
※再掲:詳しく書くと相当長くなってしまうので、詳細は別記事にまとめます。
指示が通らないのは、あなたのせいではない
「指示が通らない」という悩みは、
あなたが教師として失格だということじゃないです。
むしろ、子どもとの関係性について
深く考えるきっかけとなる、大切な
成長への第一歩と捉えられるのではないでしょうか。
「通らない指示を出さない」という消極的な対応ではなく、
「どんな指示でも通る関係性を作る」という
積極的な姿勢で子どもたちと向き合っていきましょう。
そして最も大切なことは、
「その子の可能性を信じ続けること」だと思います。
他の記事でも言及した「権威を見せる」や
「やんちゃよりやんちゃになる」といった対応と同様、
「通らない指示を出さない」という対応は、
子どもの可能性を閉ざし、
あなた自身の教師としての成長も妨げます。
子どもを「管理」するのではなく「育てる」こと。
それこそが教育の本質であり、
私たち教師が大切にすべきことだと思います。
子どもの可能性を狭めるのではなく、
成長可能性を信じ切る教師こそが、
子どもの人生にとって良い影響を与える存在になれる。
ここまで読んでくださったあなたはもう
「悩める管理者」ではなく「素敵な育成者」です。
PS.
私も若手教師の頃、指示が通らずに悩みました。
特に印象に残っているのは3年目の担任時代。 5年生の男子、ケンタ君は私の指示を一切聞きませんでした。
授業中に立ち歩く、友達とおしゃべりする、宿題は提出しない。 当時の私は「指示を通すこと」にこだわり、 毎日のように注意と叱責を繰り返していました。
ある日、職員室で先輩から 「通らないなら、いっそ指導とか指示はしない方がいいよ」とアドバイスされ、 一時は「これが正解かも」と思ったほどです。
でも、実践してみると違和感が拭えませんでした。 「ケンタ、プリントだけでも書いてみよう」 「まずは名前だけでも書こうか」
こうした「小さな指示」を出せば出すほど、 ケンタは私を見下すような目で見るようになりました。 クラスの他の子たちからも 「なんでケンタだけ特別なの?」「ケンタ、こんなことも出来ないの…?」という声が出始めました。
転機は、ある日の昼休み。
ケンタがメッシのユニフォームを着ていたときのこと。
『おお、ソレめっちゃ似合うな。メッシが一番好きなん?』
「…え、ああ。。。」
『そうか、ケンタはサッカー得意だもんな。ロナウドも好き?』
「うん。でも、メッシの方が好きかな。」
『そうか、どっちがうまいと思う?』
「それはやっぱり、メッシ!」
『メッシはかなり強いよな…ちなみに、ネイマールって知ってる?』
「うーん、わからないな…」
『え、知らないの?YouTubeで探してみてくれよ。絶対ケンタも彼のプレー好きになるよ!』
みたいな、何気ない会話です。
その一連の会話から、少しずつ関係が変わり始めました。 彼の興味(サッカー)に関心を持つことで、 少しずつ私の存在を認め始めてくれたのです。
私が彼に関心を向けたから、 ケンタも私に関心を向け返してくれたものだと捉えました。
指示が通らない問題は、一朝一夕では解決しません。 でも、「指示の出し方」ではなく 「関係性の築き方」に目を向けると、 必ず変化は訪れます。
若手教師の皆さんには、ぜひ「管理」ではなく 「関係構築」を大切にしてほしいと心から思います。 私も日々、試行錯誤しながら前に進んでいます。 共に子どもたちの可能性を信じ、成長を支える教師でありたいですね。