“ダメだった自分”を超えたいあなたへ

このブログの全ては、自分を責めていた“あの頃の私”に向けて書いています。

『時間厳守してるのに、子どもから信頼されない…』その理由は”間違ってるから”です。

【よくある『やんちゃ対応』11の間違い】

Part⑦:教師は何が何でも時間を守りましょう!やんちゃの時間を守れば、信頼を獲得できます。授業時間を守れば「やるべき時間にはしっかりやる!」というメッセージになりますよ。

時間厳守が先か、信頼構築が先か。教室の現実

「時間を守れば、子どもからの信頼は勝ち取れる」

何度、この言葉を聞かされてきたでしょうか。

 

そして何度、この言葉を信じ、実践しながら、
現実との乖離に苦しんできたでしょうか。

 

あなたも経験があるはずです。

 

・必死に時間を守っているのに、なぜか子どもとの距離は縮まらない。

・チャイムの直前まで教室を整え、始業の瞬間から授業を始め、終業のベルとともにきっちり終わらせる。それなのに、子どもたちの心は一向に開かない。

・「時間を守ることが大切」と熱心に語ってるのに、肝心の子どもとの関係は冷え切ったまま。

 

正しいことをしてるはずなのに・・・

これは一体、なぜなんでしょうか?

 

それは、「時間厳守=信頼構築」という

致命的な勘違いをしているからなんです。

 

「時間厳守=信頼構築」という公式の落とし穴

「時間を守れば、子どもからの信頼が生まれます」

 

この言葉、一見すると正しく聞こえます。

 

しかし、これは、あまりにも短絡的すぎる。

 

なぜなら、そもそも真の信頼関係というのは

「人格の尊重」から生まれるものであり、

「時間厳守」はその一部に過ぎないからです。

 

考えてみてください。

 

あなたは次のような管理職を信頼できますか?

 

  • 会議の開始/終了時刻を絶対に守る

  •  

    勤務開始/退勤時刻も同様。本人が率先して帰る


この段階では、一定の信用はできそうです。

そして、何かこだわりがありそうだ
ということも伝わってきますね。

一方で、以下を追加するとどうでしょう?

  • 校長方針に従わない職員は、率先して『仲間はずれにする』
  • 週案を出さない教師に「あなたの妻に言いますよ」「実家のご両親にも…」と『弱みで脅す』
  • 一緒にいて安心できる同僚と仲良くしていると、「ちょっとあなた達、仲良くしないで」と『分断してくる』

※上記については以下の記事に詳しいです。 ↓ 


どうでしょう?

 

この管理職を信頼できますか?

 

本当に、「時間厳守」は信頼につながるんでしょうか?

 

厳しい現実ですが、徹底したことのある
私からのリアルな答えは以下です。

 

・「時間厳守」自体が、やんちゃ君との信頼関係につながる訳では無い。

・時間厳守は、信頼構築の1要素でしかない

 

今回は、このテーマについて考えていきます。

 

 

若手教師の苦しみの原因。「方程式」が間違っている

若手教師の多くが陥る落とし穴があります。

 

・時間を守っているのに、なぜ子どもとの信頼関係が築けないのか?

・先輩は、時間を守っているから信頼されているのではないか?

・もっと厳格に時間を守れば、子どもたちは私を信頼してくれるはずだ…

 

こう考え、ますます「時間厳守」に執着していく悪循環。

 

しかし、「時間を守る = 信頼構築」

この考え自体が間違っているのです。

 

そんなに簡単なものでは有りません。

 

ベテラン教師が信頼されているのは、

単に「時間を守っている」からではありません。

 

その根底に「人格の尊重」つまり「子どもへのリスペクト」があり、

「時間厳守」はその一表現に過ぎないのです。

 

時間だけを守っても、その根底に

「人格尊重」がなければ、信頼は生まれない。

 

”『義理』のない取引関係”は、そもそも成立しない

世の中には、こんな「対応法」が蔓延しています。

 

子ども達は早く帰らせましょう!

それが自由な時間の確保に繋がり、そのことが

「授業中は集中しましょう!」という

暗黙メッセージに繋がります!


間違いではないかもしれませんが、

この考え方のポイントは

 

「教師は時間を守るから、あなたも時間を守ってね」

「しかも、授業の時間はやるべきことに集中してね」

 

という、ひとつの「取引、交換条件」

なっていることです。

 

教育現場において、この取引や交換条件は

有効に働くこともあります。

 

しかし、忘れてはいけないのが、

この取引がうまく機能するためには

 

実は、ある「前提条件」が隠れているんですね。

 

 

その前提とは「義理」です。

そう、あの「義理人情の世界」の、「義理」です。



では、「義理」とは何でしょうか?

 

それは「この人との約束は守りたい」という気持ち。

「この人を裏切りたくない」という感情です。

 

取引が成立するには、まず

この「義理」が存在していなければなりません。

 

しかし、多くの「時間厳守」論者はこの根本を無視して、

「私は時間を守っているのだから、あなたも守るのが当然だ」

と考えます。

 

これでは子どもの心は決して開きません。

 

なぜなら、そこには「義理」の前提となる

「人格の尊重」が欠けているからです。

 

 

時間の本質『命そのもの』という視点

ここで、ひとつの質問があります。

そもそも、

「時間を守りましょう!」

「守ると信頼されますよ!」

というなかで、

 

時間とは何でしょうか?

それは、「命」です。

 

時間とは「命」そのもの。

 

限りある「寿命」といったほうが
分かりやすいかも知れません。

 

私達はもちろん、こどもたちは

限りある寿命をつかって、
学校に学びにきています。


なんのために?

 

それは、当然「人として成長するため」ですよね。

 

※「権利だから」とか「親の義務だから」という
レベルの話ではないです

 

単なる「守るべきルール」ではなく、

「限りある命」そのものをつかって、みんな

学びにきているわけですよね。


つまり

「時間を守る=限りある命の時間を尊重する」

ことにつながります。

 

時間を守るということは、つまり

「存在そのものを尊重する」ことに他なりません。

 

そういう視点がないまま、

「とにかく時間は厳守だ!」

「チャイムが鳴ったら即座に終わらせる!」

と言っても、それは単なる形式主義で終わってしまう。

 

表面上は「時間を守る」ことに成功するかもしれません。

が、実際には子どもの心は動いてません。

 

むしろ、

「この先生は時間にうるさいな」

「遅刻したら面倒くさいから、チャイム前に座っとこ」


と感じるぐらいでしょう。


だから、いくら時間のみを強く意識しても

クラスの雰囲気が良くならない
(『信頼されてる感』がない)のです。

 

教室は、時間を「成長」という価値へ交換する場所

教師の仕事とは何でしょうか?

私はこう思います。

 

教師と児童が集団生活をともに過ごす。

それによって「限られた命の時間」を
「成長」という成果に交換して渡す。

そのための場所が学校教育であり、
それがプロとしての意地だと思います。

 

決して「時間で縛り付ける」という
浅いものではないはずです。

「時間」という概念を正しく理解すれば、
「時間を守る」ことの本当の意味も見えてくる。

 

それは「ルールだから守る」のではなく、

「限りある命を最大限に生かすために守る」
ということです。

 

この本質的な理解のもとにこそ、
「時間を守ること」の指導は「信頼関係の構築」

直接的に影響してくるのだと思います。

 

信頼構築が先、時間厳守はその結果

「時間厳守が先か、信頼構築が先か」

だから、この問いの答えは明確です。

信頼構築が先。時間厳守はその結果。

なぜなら、繰り返しになりますが

  1. 真の信頼関係は「人格の尊重」から生まれる
  2. 時間を守ることは、その表現のひとつに過ぎない
  3. 時間だけを守っても、その根底に「人格尊重」がなければ信頼は生まれない
  4. 「時間は守っているはずなのに、関係性が深まっていってない気がする」の根本的な原因はここにある
  5. 「時間厳守=信頼構築」というのは、正確にいうと誤り

「時間厳守」と「信頼構築」を

短絡的に結びつける考え方は、

若手教師を苦しめ、クラスを重苦しい雰囲気にするだけの

「大きな落とし穴」になりかねません。

 

ノウハウを求めたくなるが、本質を捉えてないと逆効果

繰り返しになりますが、

「時間厳守」という表面的な行動に執着するのではなく

その根底にある「人格尊重」という本質に目を向けましょう。

 

時間を守ることは、当たり前に大切。

否定のしようもない。

 

しかしそれは、

「子どもの命の時間を大切にするから」

「限られた時間で最大の成長を促したいから」

そういう本質があってこそ意味があります。

 

「時間厳守」だけを見て、子どもの様子を見ない。

学級崩壊を本当に恐れるなら、
そういう考えからは脱却していかなければなりません。

 

そして何より、
「時間は守っているはずなのに信頼されない…」
と悩むあなたへ。

あなたの悩みは、
あなたのせいではありません。


こういう話は、研修等でもなかなか聞けないと思います。

多くの研修は

「時間は守りましょうね。」
「そうしないと、子どもたちに示しがつかないですよね?」

ぐらいの内容で終わってしまう。

だから多くの若手は必ず苦しい
んだと思ってます。

 

私は、こういった風潮にとても苦しんできました。

 

今後も、これまでの現場経験から得た知見を

惜しみなく発信していけたらと思います。

 

いつもスターや読者登録、本当にありがとうございます。

記事を書くモチベーションになっております^^

 

PS. 「形式」からの脱却

若手時代、私は「良い教師=時間厳守」を信じていました。始業前に教室を整え、チャイムと同時に授業を始め、終業のベルで完璧に終わらせる。

しかし、どれだけ時間を守っても、クラスの問題児とは距離が縮まりませんでした。

ある日、その子が休み時間に一人でいるのを見かけ、何気なく声をかけました。「今日の給食、おいしかったね」

すると彼は意外な反応を見せました。「そういや先生、昨日イオンにいたでしょ?」「俺見たよ。声かけなかったけど。」

その発言に対して私は「おいおい、声かけてくれよ笑」と返しました。が、心の中はものすごくイタかった。。。そして、彼からのさらにツライ一言。「やだよ。だってそれ、知り合いみたいじゃん」。

その瞬間、私の中で何かが終わりました。こんなに必死で「良い先生」になろうとして毎日もがいている。授業こそうまくいかないものの、せめて自分でできることだけは。。。そう思って絶対に譲らなかったのが、まさに「時間を守る」ことだったんです。「俺は、プライドをもって教師をしている。」当時の私にはそれだけしかありませんでしたが、どうやらそれすらも、私の勘違いだったようです。

彼の中で私は「外では声をかけたくない存在」だったのです。「絶対に時間を守る!」「それが信頼感につながるはずだ!」そう思って頑張った結果が「知り合いとすら思われたくない」だった、というわけです。

それから私はクラスの子たちと「人間」として向き合うようにしました。給食の好き嫌い、休日の過ごし方、小さな悩み。「教師」や「時間」を超えた、「人対人」の関わりを意識するようにした。

そこから、クラスのことが色々と見えてくるようになりました。

それまでの自分が如何に「形式のみ」にこだわってきたのかも、ハッキリと見えてきました。どんなに表面だけちゃんとしても、人間である以上、相手へのリスペクトと、そこからくる心のつながり無くして「信頼関係の構築」はあり得ません。

「時間を守るから信頼される」というのは、完全に間違いです。しかし、「人格尊重 → その中の1つとしての『時間を守る』対応 → 信頼関係の構築」という流れは真実でした。

この記事をここまで読んでくださっているあなたは、すでに「形式」ではなく「本質」を見据えている、子どもたちに対して誠実な人です。

これからもともに成長していきましょう^^