“ダメだった自分”を超えたいあなたへ

このブログの全ては、自分を責めていた“あの頃の私”に向けて書いています。

『子どもは褒めると変わります』は本当か? ラクなやり方に逃げた教員の末路…

 【よくある『やんちゃ対応』11の間違い】

Part①:やんちゃ君の心を『ほめる』ことによってつかみましょう。

 

「やんちゃな子こそ、褒めると良いですよ!」

「褒めることで、子どもの自己肯定感は上がります」

「褒める言葉のバリエーションを増やしましょう!」

 

この言葉を、どのくらい聞いてきましたか?

 

大学で、初任者研修で、ベテラン教師の口からも。

 

「とにかく褒めなさい!」

「褒めて伸ばすんです!」

「褒めれば心をつかめますよ」

 

これは教育界の、もはや"常識"。

 

実際にGoogleで検索してみると、

 

・褒め方のコツ

・効果的な褒め方

・褒めて伸ばす教育


こういうワードはもちろん、

 

「やんちゃな子への効果的な対応方法」

 

として「ほめる」が上位に位置づけられている現実。

 

おそらくあなたも、この"常識"を
何の疑いもなく信じてきたことでしょう。

 

私はこの現実に、正直

腹が立っています。

 

家庭教育ではなく、

学校教育の立場において、です。

 

現場で「褒める」を

徹底的に実践し続けることで、


あなたのクラスの「やんちゃ君」は

本当に変わりましたか?

 

「褒める  → 心を掴める → 子どもが変わる」

という理想の裏側に、


重大な矛盾を感じませんでしたか?

 

今回は、「子どもへの褒め方」
に関するテーマです。

 

 

子どもへの「褒め方」が悪いのか?

まず最初に言っておきます。

 

大前提。

 

いわゆる「やんちゃ君」と呼ばれる子が

クラスにはいます。


例えば、

 

・元気がある

・発言力がある

・影響力がある

・カリスマ性がある

・周囲を巻き込むのがうまい

 

こういうスキルに長けている子が

「やんちゃ君」とされることが多いでしょう。

 

やんちゃ君に、教室での

 

決定権・主導権を渡してしまうと、

ほぼ確実に学級崩壊します。

 

これは、紛れもない事実。

 

そこに異論はないし、

「その子が悪い」ということも

全く無い。

 

シンプルに「人間の集団生活」は
そういうものである、というだけです。

 

※ちなみに、やんちゃ君でなくても
教室の主導権は担任がもってないと

どんなクラスでも崩壊確率は高まると思います。

 

だからこそ、教室においては

「教師(担任)」と「児童」。

 

両者の良好な関係性が非常に重要です。

 

しかし、ネット記事などでよく見る「やんちゃ対応」では

 

●良好な関係性が必要

 ↓ 

●教師に従わせることが必要

 ↓ 

●従わせるために、どうやってマウントをとるか?

 

みたいな方法が紹介されている。

 

これがヤバいです。

 

実際に「やんちゃ 対応」と

検索してみて下さい。

 

これは、根本的に間違ってます。

 

これらの方法の最大の問題は、「褒める」が単なる

・「操作の道具」

・「万能薬」

のように位置づけられてる点です。

 

よく見る「やんちゃ君への対応法」

 ↓ 

・成功したら、教師はたくさん「ほめる」

・「ほめる」ことで、やんちゃな子の心をしっかり掴む

・心を掴まないと、子どもは言うことをききません

・そのために一番の方法が「ほめる」です

 

正直に言います。

 

これは間違いです。


実際の教室で、担任として
子どもと接していれば分かってくる事実。

 

いや。正確に言うと

 

これだけではほぼ意味ないでしょうか。

 

 

これは「心をつかむ」ではなく、「心を操作する」技術。

 

子どもは馬鹿じゃないです。

 

教師が「言うことを聞かせるため」に褒めていることを、

彼らは敏感に感じ取っている。

 

その結果、何が起きるか?

 

彼らは「褒められるふり」をするようになる。
つまり、教師の前だけで「よい子」を演じる。

 

残念なことに、その教師の目が届かない場所では、

悪質な行動をとりはじめる場合だってあるんです。

 

 

「子どもの心を掴む」の本当の意味

「児童の心を掴む」という言葉、実は
これ自体が問題をはらんでいる、と言えます。

 

別に言葉遊びをしたいわけじゃなくて。

教師のスタンスによって、

そもそもの意味合いが変わってくると思うんですね。

 

教師と子どもの良好な関係性。

目指すべきは、子どもが

 

・教師の言葉を聞き

・生き様を見て

・心をギュッと鷲掴みにされた

そんな状態。もっと言えば、子どもが

「自ら変わりたくなる」状態

だと思います。

 

これに対して従来の

「褒めるテクニック」のみに注力したやり方は、

子どもを

 

・後ろから羽交い締めにし

・逃げようとする彼の目の前でおもちゃを振り続けて

・何とか静かにさせてる

みたいな状態だと思うんですね。

 

これだと、おもちゃ(=褒める)が無くなった途端に崩れてしまう。

 

例えば、やんちゃ認定されていたA君が「今年になって大人しくなったね」と言われていたのに、次の学年になったら、また元の調子で大暴れ…。

 

これも、同じ理屈です。

 

「おもちゃが無くなった = 担任が変わるタイミング」で、羽交い締めが解けてしまう。

 

次の学年では、より警戒して教師に近づかなくなるか、さらに暴れ出す。

これが多くの学校で起きている負の連鎖なんです。

 

「褒めて心をつかもう!」という浅い考えでは、やんちゃ君の心は本当の意味では動かない。

 

そもそも実は、つかまれてもいない。

 

ただ「羽交い締めにされて、動けない」

だけなんです。

 

 

「褒める」の本当の意味

では「褒める」のは、何のため?

 

もちろん、彼らに『素敵だね』と

伝える手段でもあります。

 

が、一方で私は、こうも考えています。

 

「褒める」は関係性構築の手段のひとつ。

 

「認める、労う、感謝する、一緒に笑う、本気で怒る、失敗を見せる、弱みを打ち明ける、秘密を共有する、時にはふざける」など。

 

学校での集団生活では、これらの『良好な関係性を築く』ための機会が無数にあります。

 

それぞれの機会を意識して、スルーしない。

 

「スルーしない」「意識する」と言っても

そういう機会は考えてみれば本当に無限に出てくるので、ただ視点を変えるだけで誰でも出来ます。

 

とくに「特別な時間をとる」ことも必要ない。

 

その機会を見つけたら、その場で行う。それだけです。

 

無数にある機会をしっかり活かした上で、ようやく「褒める」が生きてくる。

 

これらがあってこそ、褒められた時の繋がり感が増していくし、そっちのほうが人としての成長が加速していきます。

 

「褒める」だけを切り取って万能薬のように『どんどん使いましょう!』というのは、あまりにも浅すぎる。

 

実際の教室では、ある意味児童をコントロールする場面はぶっちゃけかなりある。だから「児童を動かす技術」自体は、絶対に必要。それがキレイゴトではない現実だ。

 

だが、大切なのはその目的と方法です。

 

「全ては子どものために!✨」という空虚なキレイゴトとは違う。

 

教師も人間だ。自分が楽しく働き、成長できる環境が必要だ。だからこそ、子どもと建設的な関係を築き、互いが成長できるようにすべきです。

 

 

「褒める」に隠された3つの落とし穴

「褒める」が効果的に働かない理由は、以下の3つの落とし穴にある。

1. 褒めることが目的化している

多くの教師は「子どもを褒めなければならない」という強迫観念に駆られている。だから無理に褒める場面を作り、不自然な褒め言葉を投げかける。

しかし子どもは、その不自然さを敏感に感じ取る。

「先生は何か目的があって褒めてるんだな」と察知し、不信感を抱く。

ちなみに余談だが、「褒めるとセロトニンが出ます」という科学的知見もよく聞くが、心を許していない人から機械的に繰り返される「褒め言葉」で、果たしてセロトニンって本当に出るんだろうか? 信頼関係あっての「褒め」じゃないと、化学物質レベルでも効果は疑わしいんじゃないか。

2. 褒めることが操作の道具になっている

「言うことを聞かせるため」「授業をスムーズに進めるため」「教師としての評価を上げるため」...

このような目的で褒めると、子どもは自分が「道具」として扱われていると感じる。

そして「褒められる」ことよりも「褒められないこと」を恐れるようになる。これは健全な関係とは言えない。

授業進行のための手段として褒めるのか、子どもの成長のために褒めるのか。どちらも現実の教室では必要だが、その区別を明確にしておかなければならない。

授業中に「○○君、背筋がピシッと伸びてる!エライね!」と100回言った所で、現実的にはやんちゃくんの小さな成功体験は積み上がらない。3回目にはすでに結構飽きて聞かなくなっている。

でも、授業中に関わらず「やんちゃ君の中に基準をつくる」という意味では、一定の効果はあるはず。目的を明確にした上での使い分けが重要なのだ。

3. 褒めることが習慣化し、価値を失っている

褒めがただのルーティーンに成り下がると、本来の効果を発揮できない。褒めることの価値が、相対的に下がってしまうのを感じる。

「たくさん褒めるのはダメ」ってことじゃなくて、「そもそも褒める以外の関わりの総量をもっと増やすべき」ってことです。

「いつも褒めてくるから、本当に良いことができたのかわからない」と子どもは混乱する。

これでは本当に成長した時に、その喜びを共有することができなくなる。

褒めるは一番カンタンかつ安易な方法だ。労力0でできるし、嫌われもしないから飛びつきたくなる。けれど、それを万能と勘違いしてしまうと、確実に教室は崩壊への道を進んでいく。

本当の意味で子どもの心を動かす関わり方

では、どうすれば子どもは自ら変わりたいと思うようになるのか?

それは、教師だからとカッコつけず、「ある程度の」本音で付き合う、ことがオススメ。

「これって、いわゆる『友達先生』になっちゃうんじゃ…」って思った人がいるかも知れませんね。そういうあなたは、めちゃくちゃ鋭いです。やんちゃ君との関わりはもちろん、そもそも実は「クラス運営」はかなりの高等技術。肌感覚ですが、「友達先生」でうまくいくのは小学校ではかなり稀。上位数%の「センス抜群先生」に限られます。「何も意識しなくても、何となくやってたらうまくいってきましたけど…?」みたいな人以外は、お薦めしません。

※このことについては、次に公開する予定の「② 先生の「権威」を見せる |"権威を見せる"が逆効果な理由」で詳しく書いていきます。

こちらです

www.teacher-trigger.com

 

そもそもやんちゃくんが物事を「やりきった感」を持ってないのは、本人にとって「やり切る必要がなかった」「達成する義理がなかった」と思いながら過ごしてきたからだ。だから適切な関わりができていなければ、どんなに褒めても意味はない。

 

シンプルに、教師が彼にとって「この人の言うことは信じれるな」「なんか、着いていきたいな」という存在にならないと、褒め言葉はほんとうに意味をなしません。

 

以下に、意識したいポイントをあげてみます:

1. 認め、労い、感謝する場面を増やす

「褒める」の前に、まず「認める」「労う」「感謝する」「一緒に笑う」「一緒にふざける」「本気で怒る」ことが大切だ。

つまり、シンプルに「関わる機会を増やす」ということ。

例えば:

  • 「あなたの意見、ちゃんと聞いてるよ」(認める)
  • 「ずっと考えてたんだね、疲れたでしょ」(労う)
  • 「手伝ってくれて助かったよ」(感謝する)
  • 「あれは面白かったな!」(一緒に笑う)
  • 「ふざけて追いかけっこする」(一緒にふざける)
  • 「それは許せないよ」(本気で怒る)

さっきも言いましたが、「たくさん褒めるのはダメ」じゃないです。「そもそも褒める以外の関わりの総量をもっと増やそう」ですね。

その代わりに「認める」「労う」「感謝する」場面を増やす。

子どもの変化に気づくはずだ。

2. 自分も成長する姿を見せる

教師も完璧ではない。時には間違え、それを認め、成長していく姿を見せることが大切です。

「先生も昨日は失敗したけど、今日はやり直す」

このような姿勢は、子どもに「変わることの価値」を教える。

 

「失敗しない」「間違えない」「謝らない」AIですら間違ったことを吐き出す現代において、こんなに「無機質な先生」に、果たして子供の心はつかまれるでしょうか。

 

3. 本気で叱る勇気を持つ

「今やんちゃくんはこの指示を聞かないはず。だから、別の指示をだそう」「スモールステップで…」とか言ってる場合ではないんです。

時には本気で向き合い、本気で叱ることも必要だ。ただし、それは「人格否定」ではなく「行為への批判」でなければならない。

そして叱った後は、必ず和解の手を差し伸べる。

「あの行動は許せないけど、あなた自身は大切だよ」というメッセージを伝えることが大事です。

 

褒める以外で子どもの心を掴む具体策

では、具体的にどうすればいいのか?

1. 「褒める」タイミングを意識的に減らす

まずは意識的に「褒める」回数を減らしてみよう。

さっきも言いましたが、「たくさん褒めるのはダメ」じゃないです。「そもそも褒める以外の関わりの総量をもっと増やそう」ですね。

その代わりに「認める」「労う」「感謝する」場面を増やす。

子どもの変化に気づけるはずです。

2. 本音で語る場面を作る

教師の「建前」ではなく「本音」を語る場面を意識的に作ってみましょう。

例えば、「実は先生もこういうとき困るんだよ」「これが先生の苦手なところなんだ」など。

弱みを見せることは、決して権威を失うことではない。むしろ、人間としての信頼関係を築く基盤になる。

3. 子どもの「主体性」を尊重する場面を増やす

「先生が褒めるから頑張る」ではなく「自分で決めたから頑張る」という意識を育てよう。

例えば、「どうするのが一番いいと思う?」「自分だったらどうする?」と問いかけ、子ども自身の考えを尊重する場面を意識的に作る。

 

最後に

「やんちゃ」は正直、そう簡単には変わらない。時間がかかるし、忍耐も必要だ。

 

でも、教師である以上は「プロ」として関わり続ける義務がある。適切に関わり続ければ、絶対に伝わる。

 

彼らは敵じゃない。リーダーシップという才能を自分で扱いきれず、溢れさせてしまってるだけだ。才能を「もったいない方向」に使ってしまってるだけ。

 

彼らの伸ばし方はもちろん、子どもたちの可能性を潰さず、広げていく方法はこのブログで伝えていきたい。

 

同じく苦しんできた者として、あなたの日々の奮闘を、私は応援してます。

 

 

PS.

「褒めると変わる」…これ、本当に効かないんですよね…

私も教員1年目、この言葉を信じてた。「やんちゃ対応」で紹介されてる「小さな成功体験を積ませて褒める」をひたすらやってた。

 

「今日も○○君を15回も褒めました!」って職員室で報告すると、先輩たちは「それはいいね!続けなさい」って言ってくれる。

 

でも、クラスの雰囲気はちっとも良くならなかった。むしろ、私が不在のときの問題行動は激増してた。

ある日、廊下ですれ違った5年生の女の子が「先生、嘘つき」って言ってきた。

 

「どうして?」って聞いたら、「だって、○○君のこと、いつもすごいね!って言ってるけど、あれ全然すごくないよ。先生、ほんとはわかってるでしょ?」って。

その瞬間、頭ん中でバチッと何かが繋がった。子どもたちは全部見抜いてた。私の「褒め」が本当の評価じゃなくて、ただのテクニックだってことを。

 

その日から、テクニックとしての褒めはやめた。代わりに、本当に思ったことを正直に言うようにした。「それ、いいね」って思ったときだけ「いいね」って言う。思わなかったら言わない。時には厳しいことも言った。

それから、興味深い変化がありました。

言葉で説明しづらいけど、子どもたちの目つきが変わったんです。特にやんちゃな子たち。言葉では何も言わないけど、ときどき俺の方をチラ見しながら、前よりちょっとだけ真面目に取り組んでたりする。

 

「○○くん、今日はちゃんとやってるな」って思ってても、わざわざ言葉にしなくなった私を見て、彼らも変わりはじめた。あいつら、俺が見てるってちゃんと分かってるんだな…という感じ。

 

褒めても心は動かないけど、ちゃんと見ていれば心は動く。そう気づいた瞬間でした。

 

子どもは大人が思うより全然賢い。誰よりも「本物」と「偽物」を見分ける力を持ってる。

教育に携わるものとして、「褒める」というテクニックに頼るんじゃなくて、一人の人間として子どもと向き合う勇気を持ちたい。

 

それが、教室を本当の意味で豊かにする唯一の道だと思うのです。