深夜に目が覚めて、またあの子のことを考えてしまう。
・あの言い方、まずかったよな…
・あと6秒ガマンすれば良かった…
・なぜ心を開いてくれないのだろう…
教師という仕事は、家に帰っても終わりません。
特に「この子はもう…」と思ってしまう子ほど、ずっと考えてしまうんですよね。
30人の子どもたち一人ひとりの表情、言葉、仕草が、帰宅中の車内で。入浴中に。歯磨きをしながら。浮かんでしまう。
まるで「30人の子を持つ親」のように。実際の我が子との時間すら、あの子のことを考えて削られてしまうこともあります。
そして保護者の方々もまた、同じ悩みを抱えているのではないでしょうか。
かく言う私も、情けないし、かつ申し訳ない過去をもっています。
教師1年めの私は、クラスを「学級崩壊」させてしまっていました。
「担任ガチャ外れた…」と、子どもたちに二度と思わせてはいけない。
そう強く感じたからこそ、今がある。
苦しい思いをしている人にこそ届いてほしいと思い、この記事を書きました。
※以下もあわせて読むと、本記事の意図がより伝わりやすいと思います。
【追記】
「教師として絶対やっちゃダメな対応」をしてしまった過去について書きました。若手の教師には絶対に、私のような失敗をしないでほしいです。本当に、あのときの「彼」には申し訳ない…今でも悔やまれます。
子どもの成長は「関わり方」でほぼ決まる。苦しい現実…
教師はよく「指導する」という言葉を使います。でも私は「関わる」という言葉のほうがしっくりきます。子どもは「関わられ方」でガラリと変わるから。
育休中の今、少し距離を置いて振り返ると、日々の教育現場での葛藤を客観的に、かつ強く感じます。
一人の教師としてできることには確かに限界がある。けれど、その中でも私なりに大切にしてきたことがあります。
「指導して変える」のではなく、「関わり続けることで自然に変化を促す」姿勢。
これは私が15年間、400人以上の子どもたちと向き合う中で、最も価値があると実感してきた教育の本質です。
それでもいち教員として「もっと何かできるはずなのに」という思いに苦しむ日々。それが教育という仕事の喜びであり、苦しみでもあるのです。
「この子を救うことは、もう無理かもしれない」
そう思ってしまった瞬間が、確かにありました。教師として、そんな思いを抱くことは許されるのでしょうか?
もし今、「何をしても響かない…」と苦しんでいるなら、少しでもあなたの役立ててもらえたら…と思い、この記事を書きました。
きっかけは、この記事です。
想定してなかった反応に、「もしかしてみんな似たような感覚があるのだろうか?」と思い、記事を書いてみることにしました。
100人に1人、実際に存在する「手遅れな子」
15年間、毎年30人前後のクラスを担任してきて、「これは本当に厳しい…」と感じた子どもは5人程度。率直に言えば、100人に1人ぐらいの割合です。
(地域によっては、多かったり少なかったりはあるかもしれません。私の肌感覚としてはこれくらいかな、という印象)
※上記のリンク先に詳しく書きましたが、クラスによくいる「やんちゃな子」はこれに当たりません。
彼らの様子は、今でもはっきり思い出せます。
授業中に突然立ち上がり、周りの子の持ち物を破ったり、声をかけても全く耳を貸さなかったり。話そうとしても、目が合わない。
少し時間を置き、個別で、落ち着いた環境で、話をきくことでようやく少しだけ話しができる。
それでも「なんでいつも自分だけ」「どうせ怒られる」「何をやっても無駄」と言う彼ら。
電話したり、数回の面談もしましたが、「しつけは学校でお願いします」「仕事が忙しくて構う時間がない」という言葉が返ってくることもありました。
子供と話すときの会話を聞いていると、「お前、そんな事もできないのか」「バカじゃないの?」という言葉が日常的に飛び交っているケースもあり、そんな時「もう手遅れかもしれない」と思ってしまった自分がいます。
いち教員として恥ずかしい話ですが、これが正直な本音です。
「救えない」と思う理由は、『子ではなく環境』
なぜ、ごく一部の子どもが「救えない」と感じるのか?
それは、子どもの性格や素質ではなく、環境と大人との関わり方にあるかな、という印象が強いです。
子どもは大人の鏡。環境(というか関わり方)が変われば、子どもも変わります。
実際、こどもとの関わり方が改善されたことで、驚くほど変わった子もいました。
荒れて鋭い目をした子が、目尻を下げ、穏やかな表情で学校生活を送れるようになったり、不登校だった子が登校に対して(ほんの少しだけ、ですが)前向きな考えになったり。
でも、全ての子どもがそのような環境変化に恵まれるわけではありません。
むしろ現実は、日々の激務に疲れ切った親と、多くの子どもを抱える担任が、ぎりぎりの状態で子どもに向き合っている状況です。
教師一人の力だけでは変えられない現実
一般的に、「プロなんだから、教師は子供を成長させて当たり前」という考えがあります(もちろん、その側面も強くあります)。
私も初任の頃は、そう信じていました。しかし15年の現場経験から強く感じた現実は以下。
「集団は変えられる。でも100人に1人くらいは、担任一人の力では変えられない状態の子がいる」
言い訳に思われるかもしれません。が、現場で汗をかき、ときには子供たちに泣かされ、帰宅できないほど子どもと向き合ってきた教員としての正直な実感です。
現実を見てください。
・1人の教師が見るのは30〜40人
・授業、宿題チェック、学級運営、保護者対応…全てをこなす必要がある
・特に問題を抱える子どもには、個別に時間を取る必要がある
・しかし、勤務時間は有限
何より、「人生」という視点でみたとき
・子どもが最も長い時間過ごすのは「家庭」である
という事実。
この構造的問題を直視しない限り、教育の本質的な解決には至りません。
「救えない」と思った子どもから学んだこと
そんな中でも、私が経験から学んだことがあります。
当たり前かもしれないですが。
実は、「もうダメかも」と思った子どもたちの中には、その後少しずつ変化が現れ、成長していった子もいます。中には「あの時の先生は、俺のことを見捨てなかった」と後年連絡をくれる子もいました。
教育の成果は、短期間では見えません。私たち教師は、5年後、10年後に花開く種を蒔いているのです。
だからこそ、「この子はダメかもしれない」と一瞬思ったとしても、その感情に支配されず、次の一手を考え続ける。それがプロとしての「最低限の意地」だと思います。
現場での経験から伝えたいこと
15年間、400人以上の子どもと向き合い、時に無力感に打ちのめされながらも、私が辿り着いた結論はこうです。
本当に「救えない子」はいない。ただし、一人の教師の力や、限られた時間の中では変えられない子はいる。
この矛盾に苦しみながらも、最も重要だと感じるのは
「この子はダメだ」と一瞬思ったとしても、関わり続けることが、教育者の使命だということ。
育休を取り、少し現場から離れた今だからこそ分かったことがある。
日々の忙しさに追われていると、立ち止まって考える余裕すらないことが多いものです。
今回はあえて「限界」について語ってみました。
それは、同じ悩みを抱える方々に「あなただけじゃない」と伝えたかったから。そして、その「限界」を認識した上で、なお挑戦し続けることの大切さを共有したかったからです。
このブログについて
このブログでは、「建前」ではなく「本音」で教育の現実をお伝えしていきたいと思います。
15年の現場経験から学んだことを、育休中の今だからこそ、じっくりと言葉にしていきます。
よく言われることですが、教育は完璧な答えがない。だからこそ、何かしらの基準や周りとの比較が、ときに誰かの教育の役に立つこともあるのでは?と思うんです。
それが、このブログを初めた「きっかけ」です。
私の「きっかけ」が、少しでも誰かの教員人生を変える「きっかけ」づくりとなれば幸いです。
引き続き、「自分の経験をアウトプットして整理しよう」ぐらいの軽い気持ちで、具体的な実践や関わりかたについて掘り下げる予定です。ブログのお気に入り登録やQuoraでのフォローをしていただけると嬉しいです。
PS.
先日、久しぶりに『怒り』に似た強い感情を覚えました。
怒りの対象は
自分と、それから変わらない価値観に、
かもしれません。
「子どもは褒めておけばOK!」みたいな、
「軽い」「表面だけ」の薄い理解で
軽率な行動をしてしまっていた過去の自分。
それを思い出し、腹がたったのかもしれません。
※以下の記事です ↓ www.teacher-trigger.com
育休中の今だからこそ、客観的に現場を見つめられる部分があります。
教育の悩みや子どもへの関わり方でお困りの方は、ぜひコメント欄でご質問ください。一人で抱え込まず、共に考えていきましょう。