なぜ『真面目な先生』ほど子どもに嫌われてしまうのか?:「前回のあの子」の、もう一つの変化
【この記事を読むと分かること】
『真面目にやってるのに、なぜか子どもとの距離が縮まらない...』
『完璧を目指すほど、子どもに嫌われてしまう気がする...』
そう悩む先生が、「その本当の理由」「明日から変われる具体的な心の持ち方」が分かります。
あなたは今夜も、「完璧な授業のため」「遅くまで」教材研究をしていませんか?
そして、心のどこかでこう感じているのではないでしょうか?
「真面目にやってるのに、なぜか子どもたちとの距離が縮まらない...」
隣のクラスの先生は、子どもたちとアニメの話で盛り上がっている。
あなたは教材研究に何時間もかけているのに。
なぜ、あの先生の方が子どもたちと仲良しなの?
もしかして、真面目すぎることが逆効果になってない?
そんな不安を抱えたまま、また今夜も検索していませんか?
「教師 子ども 距離感」 「真面目な先生 嫌われる」
でも、答えは見つからず…
それどころか、「もっと毅然とした態度で」
という抽象的なアドバイスばかり。
前回、ダンダダンの話で、私と
トモヒロ君との関係が変わったお話をしました。
※この記事は前回の続編です。どの経験年数の先生にも価値がありますが、特に「真面目にやってるのになぜかうまくいかない…」と感じている先生。さらにその中でも、経験を重ねるほど悩みが深くなっている先生には、より深く響く内容になっています。
前回記事はこちら ↓
でも実は、あの時もう一つ重要なことが起きていたんです。
それは、私自身の「教師としての在り方」が
根本的に変わった瞬間でもありました。
そして、この変化こそが、
あなたの悩みを解く鍵になるはず。
今日は、その核心についてお話ししますね。
なぜ「真面目な先生」ほど、子どもから距離を置かれてしまいがちなのか
「また先生の説教が始まった...」
子どもたちのそんな表情を見たことはありませんか?
一生懸命話しているのに、目が泳いでいる。
心ここにあらずの様子で、早く終わらないかなという顔をしている。
実はあなたが真面目であればあるほど、
この現象は起きやすくなります。
この現象に、真面目代表のわたしは
本当に苦労しました、、、
この理不尽な現象は、なぜ起こるのでしょうか?
以下は、私の経験から見えてきた
「理不尽からの脱出口」です。
「先生らしさ」という見えない檻
経験を重ねるほど、私たちは「先生らしくあろう」とします。
常に正しく、立派で、模範的でなければならない。
子どもたちの前で失敗を見せてはいけない。
いつも完璧でなければならない。
でも、その「先生らしさ」こそが、
子どもたちとの間に壁を作ってしまうことに
気がついたんです。
子どもたちは敏感です。
「この人は演じている」
「本当の姿を見せてくれない」
「私たちとは違う世界の人」
そう感じ取ってしまうんでしょう。
そして意外と、次のことも深刻な問題です。
「教える人」と「教えられる人」の固定化
真面目な先生ほど、この役割分担を明確にしがち。
「私が教える。あなたたちは学ぶ。」
でも、この関係が固定化されすぎると...
子どもたちは心を閉ざしてしまいます。
「どうせ先生には分からない」
「私たちとは違う」
そんな風に思われてしまう。
1年で毎日8時間、200日。
1000時間以上の授業をともにする
ひとつの空間内において、これは
実は非常に危険な状況です。
あの時、私は「先生」ではなかった
トモヒロ君とダンダダンの話をしていた時。
私は重要なことに気づきました。
その瞬間、私は「先生」ではなかった、
ということです。
ただの「アニメ好きの大人」として、
トモヒロ君と話していたんですね。
その時の私の心境
「教えなければ」という義務感は、完全にゼロ。
「この子を導かなければ」という使命感も全くナシ。
ただ純粋に、「楽しい」という気持ちで接していた。
「ターボばばあの変身、カッコよかったよなぁ」
その時の私の声は、たぶん、
普段の授業中とは全然違っていたでしょう。
計算も演技もない。
本当に楽しんでいる、「一人の人間の声」だった。
そう思います。
トモヒロ君の表情が変わった瞬間
「え!先生も見てるの?スゲ!」
その時のトモヒロ君の表情。
なかなか忘れられません。
というか、「ノッている時の子ども」って基本的に
みんな同じ種類の表情をしてるんですよね^^
目がキラキラして、身を乗り出して。
トモヒロ君からは初めて見る、本当に嬉しそうな顔でした。
それまでの彼は、私を「注意する人」としか見ていなかった。
でも、あの瞬間は、彼の認識が変わる
きっかけになったのでしょう。
「この先生は、僕と同じものを楽しんでる」
「僕の好きなことを否定しない」
「僕を一人の人間として見てくれている」
そんな体験だったのかもしれません。
「人間らしさの解放」という視点転換
これは単なる「仲良くなる方法」ではありません。
もっと深いところでの変化なんです。
先生である前に、一人の人間である
子どもたちが本当に求めているもの。
それは「完璧な先生」ではなく、
「一緒に楽しめる大人」なのかもしれません。
これは、このブログ内で私がよく言及する
児童にとっての「何者か」になる
という概念と同じです。
失敗もするし、知らないこともある。
でも、一緒に笑って、一緒に驚いて、一緒に学ぼうとする。
そんな「人間らしさ」に、
子どもたちはけっこう受け入れてくれます。
あなたの真面目さは武器になる
誤解しないでください。
真面目さを捨てる必要は全くありません。
あなたが積み上げてきた経験も、
教育への想いも、すべて大切なもの。
それに「ありのままの自分」を
プラスするだけ。
経験豊富だからこそできること
経験を重ねるほど、「こうあるべき」という型にはまりがちです。
でも、その経験があるからこそ。
「型を緩める」こともできる。
新任の頃には怖くてできなかった
「人間らしさ」を、今なら安心して出せるはず。
それが、あなたの強みになります。
明日から変われる、具体的な心の持ち方と行動
では、具体的にどうすればいいのでしょうか?
以下に思いつくまま挙げてみますね。
1. 「教えなければ」を手放す瞬間を作る
一日のうち、ほんの数分でもOK。
子どもたちと「ただの大人」として接する時間を作ってみてください。
具体的には:
- 休み時間に、彼らが話している内容に素直に反応してみる
- 「へー、そうなんだ!面白そうだね」と、純粋な興味を示す
- 給食の時間に「このおかず、どう思う?」と対等に聞いてみる
その時だけは、「先生」であることを忘れてください。
注意点: 最初は違和感があるかもしれませんが、それは正常な反応なので、木にしなくて大丈夫です^^
2. 「知らない」ことを恥じない
完璧でなくても大丈夫。
知らないことがあっても当然。
子ども達との関係性が崩れるのは
「先生が無知だから」ではありません。
そんな人間に対して拒絶感を抱くんです。
実際の場面で:
- 子どもが話してるゲームの名前が分からない時 →「それ何?教えて」と素直に聞く
- 流行りの歌を口ずさんでいる時 →「その歌、いいね。誰の歌?」と興味を示す
- YouTuberの話をしている時 →「そのYouTuber、どんな動画作るの?」と質問する
つまり、普通に「人として関心を寄せる」こと。
※以下に詳しく書いてます ↓
「子どもとの関係づくり✨️…って何?」と悩む先生へ:一人ひとりの『何か』を見つける3つの観察法 - “ダメだった自分”を超えたいあなたへ
その瞬間、あなたは「学ぶ人」になり、子どもは「教える人」になります。
立場の逆転が、新しい関係を生むんですね。
3. 楽しんでいる姿を見せる
あなたが心から楽しんでいる瞬間。
それを子どもたちに見せてあげてください。
明日からできること:
- 本を読んで「へー!」と声に出して驚く
- 新しいことを知って「そうだったのか!」と素直に反応する
- 面白い発見があった時は「うお!」「みんな、聞いて聞いて!」と興奮を隠さない
そんな「人間らしい反応」こそが、子どもたちの心を開く鍵になります。
4. 失敗を恐れず、小さく始める
いきなり完璧にやろうとしなくて大丈夫。
今週から試せる小さな一歩:
- 朝の会で「先生も昨日、○○見て面白かったんだ」と一言だけ話してみる
- 掃除の時間に「この音楽、誰の?」と自然に聞いてみる
- 休み時間に子どもの輪に「何の話?」と加わってみる
失敗しても問題ありません。
子どもたちは、あなたの「本気で関わろうとする姿勢」を見ています。
完璧な成功より、失敗を恐れない勇気の方が大切です。
前回との繋がり:「やり方」と「心」の両方が大切
前回の記事では、関係構築の「方法」についてお話ししました。
今回は、その背後にある「心の在り方」について考えてみました。
どちらも大切な要素です。
でも、心の在り方が変わると、方法も自然と変わってくる。
そして、その変化は必ず子どもたちに伝わります。
変化は必ずやってくる
明日、少しだけ肩の力を抜いて子どもたちと接してみてください。
「先生らしく」ではなく、「自分らしく」。
最初は戸惑うかもしれません。
子どもたちも「いつもと違う先生」に驚くかもしれません。
でも、大丈夫です。
その時のあなたの表情を、
子どもたちはきっと見逃さないはず。
「あ、先生も私たちと同じ人間なんだ」
そう感じた瞬間から、関係は変わり始めます。
変化のサインを見逃さないで
変化のサインは、実は本当に小さいです。
例えば以下のようなものが考えられますが、
もちろん、これだけでもない。
『きっと変化があるはず』
そう決めて、クラスを見る。
これが最大のポイントですね^^
1週間後に現れる小さな変化:
- 休み時間に話しかけてくる子が増える
- 「先生、これ知ってる?」と聞いてくる
- 授業中の「先生の話」を聞く姿勢が変わる
1ヶ月後の大きな変化:
- クラス全体の雰囲気が柔らかくなる
- 問題行動が自然と減ってくる
- 子どもたちの笑顔が増える
徐々にでも構いません。
一人でも二人でも、心を開いてくれる子が現れたら。
その変化は、確実にクラス全体に広がっていきます。
あなたが変われば、
子どもたちも必ず変わります。
これは、もう間違いありません。
逆に言えば、現状を変えたいなら
教師から変わるしか、道はない。
なぜなら、子どもたちはあなたの「本気」を感じ取るから。
あなたなら、必ずできます。
明日が楽しみになってきましたか?^^
PS.
実は私も、教師になってから長い間「完璧な先生でなければ」と思い込んでいました。
子どもの前では常に正しく、立派で、模範的でなければならない。
授業準備に何時間もかけて、完璧を目指していました。
教材研究の時間を削ってアニメを見ることに、罪悪感すらありました。
「こんなことしてていいのかな」って。
でも、トモヒロ君との会話で気づいたんです。
その「罪悪感」こそが、子どもたちとの距離を作っていたのかもしれない、と。
子どもたちが求めているのは「完璧な先生」ではなく、「一緒に楽しんでくれる大人」だったんですね。
経験を重ねるほど、「こうあるべき」という枠に自分を当てはめがち。
私もそうでした。
でも、その枠を少し緩めた時。
子どもたちとの関係が驚くほど自然になったんです。
「先生も普通の人間なんだ」
そう思ってもらえた瞬間から、子どもたちの接し方が変わりました。
授業中も、以前より素直に聞いてくれるようになったんです。
もちろん、それぞれの教室の状況は違います。
トモヒロ君のような子もいれば、また違うタイプの子もいる。
あなたのクラスには、あなたのクラスに合った関わり方があるはず。
でも、もしあなたが「真面目にやっているのに、なぜかうまくいかない」と感じているなら。
もしかしたら答えは「もう少し自分らしく」にあるかもしれません。
完璧を目指す必要はありません。
あなたが楽しんでいる姿を、子どもたちに見せてあげてください。
そこから、新しい関係が始まるはずですから。
応援しています^^
また次の記事でお会いしましょう!