“ダメだった自分”を超えたいあなたへ

このブログの全ては、自分を責めていた“あの頃の私”に向けて書いています。

『やんちゃな問題児』など存在しない。ただ"強み"を認められていない子どもが放置されてるだけ:やんちゃ対応の真実

※この記事の内容を2分で知るには以下の記事がオススメです。「今回の記事の本質」が詰まったサクッと版です。

 

『問題児』とか言ってビビってる場合じゃなかった…   教室を変えるための2つの視点

以前書いた記事「【※暴露します】『やんちゃな子どもに効果的な対応』11の間違い」を公開してから、多くの方に読んでいただきました。

 記事の閲覧回数から察するに、この問題に悩んでいる教師が少なくないことを実感しています。

そして、おそらく多くの読者が抱いているであろう疑問。

 

「じゃあ、実際にどうすればいいの?」

もしあなたが、この問いを抱えているなら。

今日の記事は、あなたのためのものです。

【追記】

「じゃあ、実際にどうすればいいの?」

この質問への一番シンプルな答えは、 ↓ 

「担任が、児童にとっての何者かになる」。

これです。

ある程度長く教師を続けてきましたが、結論。


ここができてないと正直なところ、

教師の言葉はほぼ全て、
子どもに刺さりません。


つらい現実ですが、これは多くの先輩が

初任者や若手教師に教えてくれない

現場のひとつの真実だと思います。

 

「じゃあ、その始めの一歩はどうやるの?」

という疑問に答えた記事を書きました。


「本気で実践する覚悟」さえあれば、

誰でも明日からすぐにでき、かつ

効果を実感しやすいやり方です。

 

SNSでバズる「キレイゴト」と厳しい現場の現実

今日もSNSやネット記事では
「教師が児童を変えるなんておこがましい!」
「教師にできるのは、子どもの可能性を信じることだけ!」
みたいな『正論』が、

大量の「いいね」を集めています。

「子どもに指示するな」
「考えさせることこそ、正義」
「一人ひとり違うから、共通の対応法なんてない」

といった投稿が"教育の正解"として扱われる光景。

はっきり言います。

厳しい現場では通用しません。

35人の子どもたちを前に
「子どもを動かさない」という選択肢は、
ただの無責任です。

集団は恐ろしい力を持ち、方向性を失えば一瞬で崩壊します。

 

教師一人や弱い立場の子どもを簡単に潰してしまう。

キレイゴトや美しい理想のみでは、教室を守れないのです。

 

しかし。

だからといって、私が以前に【よくある「やんちゃ対応」11の間違い】として批判したような方法を推奨するつもりは全くありません。

 

あの「11の方法」に共通する致命的欠陥は「子どもを操る」という発想にあったのです。

子どもの人格を無視し、教師の思い通りにコントロールしようとする姿勢はやはり根本的に間違っています。


私が後輩教師に伝えたいのは

「子どもを適切に動かす」という発想。

 

これは子どもの人格と強みを尊重しながら、
成長という目標に向かって、積極的に導くアプローチです。

 

「やんちゃな子」ではなく「承認欲求が強すぎる子」

実は、教室で起きる多くの問題は「やんちゃな子=クラスの厄介者」とラベリングした瞬間に、解決不可能になります。

それは、「やんちゃ君」と呼ばれるその子を「敵」とみなしてしまうから。

 

本来、教師にとって「敵対すべき相手」なんて教室には一人もいないんです。

いるのは「ニーズを持った子ども」だけ。

この視点の転換が、すべての始まりです。

このニーズを持った子というのは、今回の「やんちゃ君」も含め、普段から問題を起こさないいわゆる「普通の子」とされる子も当然含まれます。

そういった35人の集団を「成長」というポジティブな方向性に向かわせる意識(視点の転換)をもつことが、全ての始まりなんですね。

「子どもをコントロールしよう」という発想そのものは、いったん捨てましょう。


子どもたちは驚くほど敏感に、大人の「本音」と「建前」を見抜きます。

「この先生、俺たちを操ろうとしてる」。

 

こう感じた瞬間、子どもの心は閉じてしまいます。

では、本当に必要なアプローチとは何でしょうか?

 

それは「コントロール・操る」ではなく
「人格を尊重し、強みを認める」。


そして、そのために教師は

「積極的に子どもを動かす」という視点です。


【追記】
「積極的に動かす視点」については、以下でも書いています。私の教室での事例をもとに、実際の会話例に落とし込んで説明しているので分かりやすいと思うし、何より「教師のスタンス」「空気感」みたいなものを感じていただけたらと思います。

 

 

なぜ「強みを認める視点」が必要なのか

心理学者マズローの「欲求段階説」って、ご存知ですよね。

教員免許をもっているなら確実に何度も聞いたことある、あの三角形の理論です。

 

あれを、現場の教師である私たちの言葉で言い換えると:

  1. 基本的な安全・安心の欲求:教室が安全で、自分が受け入れられる場所かどうか
  2. 所属と愛の欲求:クラスの一員として認められているか、友達や教師との関係性
  3. 承認と尊重の欲求:自分の存在価値や能力が認められているか
  4. 自己実現の欲求:自分の可能性を発揮できる機会があるか

みたいな感じになるでしょう。

「やんちゃ」と呼ばれる行動の多くは、これらの欲求が満たされていないときに現れます。
特に「承認と尊重」「自己実現」の欲求が満たされない場合、子どもは別の方法でそれを満たそうとすると、これまでの経験から強く感じます。

つまり問題行動は単なる「悪さ」ではなく
「存在感のアピール」
であることがほとんどです。

 

やんちゃ君は承認欲求の「コップのデカさ」と自己主張能力の強さを持っています。

私は承認欲求を「コップ」みたいなものとイメージしています。

 

コップがどのくらい満たされているかで、その子の自己肯定感や有用感が決まる。
やんちゃ君は、このコップが人よりもデカいのでしょう。

 

たとえば、A君は20mL(他人からの小さな承認)でも満杯になるけど、やんちゃなB君は100mL入れても、まだ全然満タンにはならない。

満たすためには、それだけ大量の水(大きな承認)が必要。というわけです。


そしてこれは今年に限らず、これまでの担任との関係性の中で、なかなか満たされてこなかった過去、背景がある。

ネットでよく見る「やんちゃ対応11選!」みたいな記事に書かれてる対応法のほとんどは、これらの欲求を「抑え込む」ものでした。

  • 「褒める」→外的な報酬で釣る(褒めるのが悪い訳では無いが、「褒める一辺倒」では、本当の承認には届かない)
  • 「権威を見せる」→関係性の否定(所属と愛の欲求を損なう)
  • 「悪友から隔離する」→集団からの排除(所属と愛の欲求を完全に無視)

このような方法は、一時的には効果があるように見えても、長期的には子どものニーズを無視することになり、より深刻な問題を生み出します。

現場のリアルを直視しましょう。

「権威を見せれば従う」
「褒めれば動く」
「隔離すれば大人しくなる」

こんな単純な方程式で子どもが動くなら、

学級崩壊なんて起きません。

現実は、こうした「テクニック」が通用しない複雑な状況なのです。

「強みを認め、活かす」関わり方とは

「小手先のテクニック」vs「強みを活かす関わり」

「褒める」という行為一つをとっても、その裏にある意識によって効果は大きく異なります。例えば、以下のような感じ。

【小手先の対応】
「頑張ったね!」「今日はちゃんと座っててエライ!」

(表面的な褒め)

 

【強みを活かす関わり】
「この部分、すごく工夫してるね。どうやって思いついたの?」

(人格と思考プロセスへの興味)

 

シンプルですが、「やり方」ではなく「見方」が変わることで、子どもとの関わりは本質的に変化します。

 

「承認欲求のコップが大きい」という強みを理解する

「やんちゃは承認欲求のコップがデカすぎる」という特性は、実は強みとも言えます。例えば「人の注目を集める力」「場の空気を変える影響力」という強みの源泉だ、という捉えができそう。

しかし、彼らはその強みが理解されず、学年が上がるにつれて「満たされない」どころか「批判される」ようになってきた背景があるわけですね。

そこで、存在感という強みの活かし方について考えてみましょう:

【従来】

「彼は目立ちたがり屋だから、調子に乗らないように無視しよう」

「時々は鼻っ柱を折ってやって、潰しておくか」

(強みの抑え込み)

 

【強みを認める視点】

「彼の存在感への欲求は人一倍強いな。」

「どうやってこの強みを健全な形で活かせるか考えよう」

「そうだ。1学期のお楽しみ会でサプライズ出し物をやってくれないか、持ちかけてみよう」

(強みを、公の場で披露する場を設定する)

「人格尊重」と「強みの活用」の具体例

「問題行動」とされることも、視点を変えれば強みの表れだと気づくことができます。

 

【従来】

「また授業中に騒いで。本当に困った子だな」

(強みを否定する、スルーする)

 

【強みを認める視点】

「彼があそこまで騒ぐのは、コミュニケーション力という強みの表れかもしれない。どう活かせるだろう?」

「グループ活動の進行役を任せてみようかな。あの声の大きさと話す力は、みんなを引っ張るのに向いているはずだ」

(強みを使って、別の場で活かす方法を学べる機会を設定する)

 

このような見方ができるようになれば、

「やんちゃ=インフルエンサーの卵」

という視点が身についてきている証拠。

 

彼らを活かす方法が、いくつも湧いてきます。

※このことについては以下の記事で深堀りしてます。

 

彼らの強みを活かした役割を創出することで、クラス全体のプラスになる関係性が生まれます。

 

次年度以降への「本当の成長」につながる強みの伸ばし方

【従来】

「一年間大人しくしてくれればそれでいいや…」

(強みの抑圧、封印)

 

【強みを認める視点】

「今年の関わりが、彼の強みを正しく活かせる土台となるような関係性を築きたい」

「そうだ、本人に『1年後、どんな自分になっていたい?』と、落ち着ける場所で個別で話してみよう」

(強みを、さらなる強みへと押し上げる)

 

調教ではなく、成長を促す関わりは、
次の年度にも続く本当の成長を促します。

 

これらはすべて、子どもの強みを認め、その強みを活かす方向に動かしていく考え方です。

 

これから私が投稿していく記事では、強みを捉える視点や、強みの活かし方について具体的に紹介していきます。

とは言え、それぞれの特性やクラスの実態によって、活かし方は全然変わってきます。私の場合での事例を紹介しますね。

※私も実際に、「人格尊重」「強みを活かす」という本質部分は変わらないものの、子どもの実態に合わせて毎年調整を加えています。当然の事かもしれませんが、人間を相手にしている以上、テンプレにそのまま当てはめて活用できる!みたいなことはありませんので、「参考にしたいけど、どうすれば良いのか分からない…」「ウチのクラスのあの子の強みは、なんだろう…」と気になった場合は、一度連絡ください^^ 

 

「人格を尊重し、強みを認める視点」は特別なスキルではない

「人格を尊重し、強みを認める視点」は特別なスキルではなく、人間対人間の関係性の基本です。
つまり、意識すれば誰でもできます。

 

毎朝、教室に入る前にこう唱えてみてください。

「今日こそ、あのやんちゃの強みを見つけ出す」

「何かひとつ、絶対に見つけてやる…」

この決意が、あなたの教室を変える第一歩になるでしょう。

 

そして、最も重要なのは、

完璧を目指さないことです。

 

教師自身が「完璧な存在」を演じる必要はありません。

むしろ「失敗しながらも成長している姿」を見せることで、子どもたちに本当に「背中で語る」ことができます。

完璧な管理より「適度な混沌」の中にこそ、子どもの成長の機会があると思います。

教師も子どもも共に学び、共に成長するという

フェアな関係性を築くことが大切(対等、とは微妙に違う)

 

次回からの記事では、各場面ごとの強みを捉える視点や、強みの活かし方について具体的に紹介していきます。

 

それぞれの特性やクラスの実態によって、活かし方は全然変わってきます。

私の場合での事例を紹介します。

繰り返しになりますが、私も実際に、人格尊重と強みを活かすという本質部分は変わらないものの、やんちゃに合わせて毎年調整を加えています。

 

PS. 私が「コントロール・操る」から「人格尊重と強みを認める」視点に変わった瞬間

ここだけの話ですが、私がこの「視点の転換」に気づいたのは、ある意味で偶然でした。

ある年度、学級崩壊の真っ只中にいた私のクラス。特に手を焼いていたコウジくんは、授業中に突然立ち上がり、教室を飛び出すことが日常茶飯事でした。

あの日も、算数の授業中にコウジくんは突然立ち上がりました。私はいつものように「またか…」と思いました。

でも、その日は違いました。とても疲れていた私は、いつものように「席に戻りなさい!」と叱る代わりに、思わず本音が出てしまったのです。

「コウジくん…正直、先生はもうどうしたらいいか分からないよ。」

「君は一体、何がしたいの?」

これは「テクニック」でも何でもなく、ただの疲労からの本音でした。

すると、驚くべきことに、コウジくんは立ち止まり、こちらを見ました。そして、小さな声で言ったのです。

「トイレ行きたいだけなんだけど…」

その瞬間、私の中で何かがぶち壊れました。今まで彼を「問題児」として見ていた自分。彼を「コントロールしなければならない何か」として捉えていた自分。

実際には、彼は基本的な欲求を満たしたいだけだったのに。そして、その「立ち歩く行動」は、実は「自分の欲求を伝える勇気」という強みの表れだったのです。

「OK。行っておいで」と私が言うと、彼は静かに教室を出て行きました。そして、驚くべきことに、数分後には戻ってきて、席に座ったのです。

それからの数日間、私は彼の行動を「問題」ではなく「強みの表れ」として見るようにしました。立ち歩くときは「何か伝えたいことがあるのかな?」「彼の強みで置き換えると?」と考え、話しかけてみるようにしたんです。

その年のクラスには、授業中に立ち歩くコウジくんに加え、大声で注目を集めるタイプのユウタくんがいました。同じ「やんちゃ」でも、コウジくんには「探究心という強み」もあり、ユウタくんは「表現力という強み」がありました。

コウジくんには教室の後ろに「調査コーナー」を作り、ユウタくんには「司会進行」の役割を任せました。

その時ユウタくんに私が伝えたのは、以下の内容。

「ユウタくん。1週間後のお楽しみ会が盛り上がるかどうかは、君の腕にかかっている。」

「君が話すといつも、全員が君に注目するんだ。気づいてるかい?」

「みんな、君が話すことに興味があるんだね。」

「つまり。お楽しみ会は、君が司会を楽しむことで、自然とみんなが楽しめる会になるんだ。」

…分かるな?

その時の彼の眼。

一瞬ウルッ...として大きくなり、宙を彷徨って焦点の定まらないあの『眼』。

恥ずかしそうだけど、どこか誇らしげにも見えるあの『眼』。

そんな眼を、私は一生忘れられません(おそらくこういう『眼』をしている瞬間が、本当に子どもの脳内で快楽物質「セロトニン」が出ている瞬間だと思ってます)。

同じように見える問題行動でも、その子の強みを見極めて、まったく異なるアプローチが、彼らには必要だったんです。

翌年のクラスでは、同じように授業中に立ち歩くタクヤくんがいましたが、彼の場合は「リーダーシップという強み」だったので、全く別のアプローチで接しました。

最初は小さな変化でしたが、徐々に彼らとの関係は変わり始めました。そして、一番驚いたのは、私自身の気持ちの変化でした。

「調子に乗らせないよう、どこかで彼らを潰さなければ」というプレッシャーから解放され、むしろ子どもと「共に成長する」という感覚が生まれてきたのです。

これは決して「すぐに教室が天国になった」という物語ではありません。何度も失敗し、何度も落ち込みました。

各クラスには「やんちゃ君」と呼ばれる児童が1人とは限らず、それぞれに全く異なる強みがあります。私も実際に、人格尊重と強みを活かすという本質部分は変わらないものの、子どもごとに毎年調整を加えています。

でも、この「視点の転換」が、少しずつ私の教室を変えていったのです。

もしあなたが、いま教室で苦しんでいるなら。

ぜひ、一度この「強みを認める視点」で接してみてください。完璧を目指さなくても大丈夫。まずは一人の子どもから、一つの場面から始めてみればOKです。

あなたのクラスのやんちゃにも、必ず素晴らしい強みがあるはず。どんな強みがあるか見極めることが、解決の第一歩なんですよね。

そして、何か変化があったら、ぜひ教えてくださいね^^

次回は、この記事 ↓ の実践編

『子どもは褒めると変わります』は本当か? ラクなやり方に逃げた教員の末路…」の実践編として、「『褒め』に頼らない信頼構築法 ー 本物の『承認』が子どもを動かす理由と実践例」について書きますね。お楽しみに!また次の記事でお会いしましょう!

 

【追記】

更新しました。私のクラスでの実際の会話例を載せているので、具体的な空気感などイメージしやすいかと思います。

『私、教師に向いてない…?』と悩む先生が知るべき、やんちゃな子を味方に変える視点

【よくある相談:やんちゃな子に振り回される毎日で、もう限界です...私、教師に向いてないんでしょうか?】

この記事を読むと分かること

✅️なぜ「厳しくしろ」のアドバイスが逆効果になるのか

✅️やんちゃな子が本当に求めているものの正体

✅️「教師に向いてない」と思う気持ちの真の原因

✅️明日からできる、やんちゃな子との関係を変える具体的方法

✅️一人で抱え込まない教師になるための視点転換

 

続きを読む

子どもが言うことを聞かない時、否定から入ってしまう本当の理由

「否定から入る教師」が生まれる、教育界の構造的欠陥

タツヤ君、座ろうか。」

「やだ。」

「座りなさい。」

「うるっせー!」

 

その瞬間、教室がシーンと静まり返る。

30人の視線があなたに集中し、心臓がバクバクと鳴る。

 

「何だその言い方は!!!」

 

また、やってしまった...

 

「『否定から入る教師』が生まれる、教育界の構造的欠陥」

こんな経験、ありませんか?

教育書には「まず子どもの気持ちを受け入れて」「否定から入らずに」と書いてあります。頭では分かっているんです。でも、現実は、そう簡単には行かないんですよね、、、

タツヤが授業中に立ち歩いて、「座りなさい」と言っても無視される。

ユウキが宿題を忘れて、「なぜ忘れたの?」と聞いても「知らん」と返される。

ハルトが友達を叩いて、「どうして叩いたの?」と聞いても「向こうが悪い」と言い返される。

 

そんな時、どうしても「でも、それは違うでしょ」「まず君が悪いんだから」と否定から入ってしまう。

 

本当は分かってるんですよね。

そんなことをしても、子どもたちは心を閉ざすだけ。

それでも、どうしてもやってしまう。。。

同僚の先生に相談しても、「もっと毅然とした態度で」「甘すぎるんじゃない?」と言われるだけ。ベテランの先生からは「私たちの頃は...」という話が始まります。

誰も分かってくれない。

一人で悩んで、教育書を読み漁って、でも現場では同じことの繰り返し。「私、教師に向いてないのかな...」そう思ったことはありませんか?

でも、待ってください

その悩み、実はあなただけの問題じゃないです。

「否定から入る教師」が生まれてしまうのは、実は必然なんですね。個人の能力や性格の問題ではなく、教育界の構造そのものに原因があるということ。

ここで立ち止まって、本当に大切なことを一緒に考えてみませんか?

この記事を読み終わる頃には、以下のことが分かります:

  • なぜ優秀な教師でも「否定から入る」罠にハマるのか
  • 教育界の4つの構造的問題とその深刻な影響
  • 本当に必要な「意識改革」とは何なのか

「クラス」の背後にある「本当の構造問題」

構造問題①:管理主義教育の呪縛

まず最初に理解してほしいのは、私たち教師は「管理者」として訓練されているということなんですね。

大学の教育実習でも、初任者研修でも、とにかく「クラスを静かにしなさい」「秩序を保ちなさい」と言われ続けます。「静かなクラス=良いクラス」という評価基準が刷り込まれるということ。

 

でも、これっておかしくないですか?

タツヤが「うるせー」と言った時、私たちが最初に考えるのは「この子を静かにさせなければ」ということ。

タツヤがなぜそんな言葉を発したのか、どんな気持ちでいるのかを理解しようとする前に、まず「管理」を考えてしまう。

これが構造的問題の正体。

私たちは子どもを「管理対象」として見るように、システムによって訓練されているんです。だから、無意識に否定から入ってしまいます。子どもの言い分を聞く前に、まず「問題行動を止める」ことを優先してしまうんですね。

構造問題②:効率至上主義の罠

次に、現場の現実を見てみましょう。

30人のクラスを一人で見て、1日6時間の授業をこなして、その合間に生活指導もして、事務作業もして、保護者対応もして...。

この状況で、「タツヤの気持ちを理解するために、じっくり話を聞きましょう」なんて言われても、残念ながら、現実的には「不可能」です。

「そんな時間があるなら、さっさと静かにさせて次の授業に進みたい」

これが本音じゃないでしょうか?

でも、これも個人の問題ではありません。

 

一人の教師に30人もの子どもを任せるシステム自体に問題があるんですね。

効率を優先せざるを得ない構造の中で、私たちは「人間理解」よりも「時間管理」を選ばざるを得ない状況に追い込まれているということ。

「賛同できるポイントを探す時間なんてない」

それが「現実」。

構造問題③:教師養成の致命的欠陥

大学の教職課程で、何を学びましたか?

教育心理学、教育方法論、各教科の指導法...。確かに大切な知識ですが、一つ決定的に欠けているものがあります。

「子どもの心を理解する」実践的な訓練なんです。

理論は学びます。

「子どもの発達段階」

「学習意欲の高め方」

「問題行動の背景」...。

でも、実際にタツヤが「うるせー」と言った時、その瞬間にどう反応するか、どんな表情で向き合うか、どんな言葉をかけるか。

そんな実践的な「人間理解のスキル」は、誰も教えてくれませんでした。

だから、現場に出て初めて「理想と現実のギャップ」に直面するんです。頭では「否定から入っちゃダメ」と分かっていても、実際にはどうすればいいか分からない。

これも構造的な問題。

私たちは「指導技術者」として養成されているけれど、「人間理解者」として育てられていないだと、私は思っています。

構造問題④:評価システムの根本的歪み

最後に、最も深刻な問題(だと私が思ってること)をお話しします。

管理職や保護者は、何で「良い先生」を判断しますか?

「あのクラスは静かで規律正しい」「子どもたちがきちんと座っている」「授業中に立ち歩く子がいない」

こんな表面的な「静けさ」で評価されることが多いんじゃないでしょうか?

でも、本当に大切なのは違います。子どもたちが心から納得して行動しているか、一人ひとりの個性が尊重されているか、クラス全体に温かい関係性があるか。

そんな本質的な部分は、なかなか評価されません。

だから、私たちも無意識に「とにかく静かにさせなければ」「問題行動を止めなければ」と考えてしまいます。タツヤの心の声を聞くよりも、タツヤを静かにさせることを優先してしまう。

これが評価システムの歪みが生み出す、構造的問題なんですね。

本当に必要なのは「意識改革」

ここまで読んで、どう思われましたか?

あなたが「否定から入ってしまう」のは、あなたの能力や性格の問題ではありません。教育界全体の構造的問題の中で、そうならざるを得ない状況に置かれているからなんです。

だからこそ、必要なのは「指導技術」ではなく「意識改革」なんですね。

管理者から理解者: タツヤを「管理すべき対象」ではなく、「理解すべき一人の人間」として見る。

指導対象から対話相手: タツヤとの関係を「上から下への指導」ではなく、「人間同士の対話」として捉える。

問題児から可能性の塊: タツヤの「うるせー」という言葉を「問題行動」ではなく、「何かを伝えようとするサイン」として受け取る。

この意識の転換ができれば、自然と「否定から入る」ことはなくなります。なぜなら、タツヤの言葉の背景にある気持ちを理解したくなるからなんです。

明日から試せる小さな一歩

例えば、タツヤが「うるせー」と言った時、まず心の中で「確かに、同じ話を何度も聞かされたらイラつくよな」と一度受け止めてから対応してみてください。

これだけで、あなたの表情と声のトーンが変わります。タツヤも「あれ?いつもと違う」と感じるはずです。

「うるせー」と言ったタツヤに対して、「確かに、何度も同じことを言われたらイラつくよな」と自然に思えるようになります。「まあ、つまらない時間が続いてたもんな」と、タツヤの立場に立って考えられるようになる。

完璧にできなくても大丈夫です。最初は心の中で受け止めるだけでも、十分に変化が起きます。

これが意識改革の力なんですね。

あなた一人の変化が、未来を変える

もしかすると、こう思うかもしれません。

「でも、私一人が変わったところで、何も変わらないでしょ…」

違うんです。

あなた一人の変化が、クラスの28人の子どもたちの未来を変えます。そして、その子どもたちが大人になった時、今度は彼らが次の世代に影響を与えることになる。

この構造を変えるのは、政治でも制度でもありません。現場で子どもたちと向き合っている、あなたのような先生の意識改革から始まるのだと私は思っています。

タツヤ君が「うるせー」と言った時、あなたがどう反応するか。その一瞬の選択が、タツヤの人生を、そしてクラス全体の空気を変える可能性を持っているんですね。

でも、具体的な状況は一人ひとり違う

ここまで構造的な問題についてお話ししてきましたが、実際の教室での対応は、一人ひとりの状況によって違います。

あなたのクラスのやんちゃな子がどんな背景を持っているのか、今までどんな関係を築いてきたのか、クラス全体の雰囲気はどうなのか。

そして、あなた自身がどんな先生なのか、どんな強みを持っているのか、どんなことに悩んでいるのか。

すべてが違うんですね。

だからこそ、一般論だけでは限界があります。

今まさにタツヤのような子に悩んでいる、そんなあなたへ。

一人で抱え込まずに、私に話してみませんか?あなたの具体的な状況を聞かせてください。あなたのクラスの子どもたち、今の関係性、試してみたけれどうまくいかなかった方法...全て聞かせてください。

一緒に、あなたのクラスに最適な解決策を見つけましょう。

一人で悩まないでください。あなたの悩みを、詳しく聞かせてもらえませんか?

 

PS.

実は、私自身も現場にいた頃、同じような悩みを抱えていました。

特に印象に残っているのは、担任2年目の時のことです。クラスにいた勇太という子が、毎日のように授業を妨害するんです。注意するたびに「だって〜」「でも〜」と言い返してくる。

その度に私は「言い訳しないで」「まず自分の行動を反省して」と否定から入ってしまいました。関係はどんどん悪化していったんです。

ある日、勇太が「先生なんか嫌い」と言い放って教室を飛び出した時、私は完全に参りました。「私、教師向いてないんじゃないか...」そう思ったんです。

でも、その時にベテランの先生が教えてくれました。

「あの子、本当は先生に認めてもらいたいんだよ。『だって』『でも』って言うのは、自分なりの理由があるからでしょ?まず、その理由を聞いてあげたら?」

その言葉で気づいたんです。私は勇太を「管理すべき問題児」として見ていたけれど、勇太は「理解してもらいたい一人の人間」だったんですね。

次の日から、勇太が何か言い訳を始めた時、「そうか、君にはそういう理由があるんだね」と受け止めるようにしました。すると、勇太の表情が少しずつ変わっていったんです。

その後、勇太が初めて「先生、ありがとう」と言ってくれた時、涙が出そうになりました。

必要だったのは、新しい指導技術じゃなかったんです。勇太を一人の人間として理解しようとする、意識の転換だったんですね。

あなたも、きっと同じような経験をされているんじゃないでしょうか?クラスのやんちゃな子との関係に悩んで、「私のせいかも...」と自分を責めてしまうことがあるんじゃないでしょうか?

でも、あなたは一人じゃありません。あなたの具体的な状況を、ぜひ聞かせてください。一緒に、最適な解決策を見つけていきましょう^^

「褒める」「価値付ける」「自己肯定感上げる」はすべて『やり方次第』:ただ「エライね」で終わらせてしまっては損すぎる、という話

なぜベテラン教師ほど、子どもの心を掴めなくなるのか?現場で発見した、本当に効果のある価値付けの方法

なぜベテラン教師ほど、 子どもの心を掴めなくなるのか?

経験10年、20年の先生が 新任教師に嫉妬する現実を 見たことがありませんか?

「あの先生のクラスだけ、 なんであんなに子どもたちが輝いてるの?」

ベテランが新人に負ける。 この逆転現象の正体とは?

 

職員会議で、こんな光景を 目にしたことはないでしょうか。

 

経験豊富な先生が 「最近の子どもは言うことを聞かない」 「昔はこんなじゃなかった」と 愚痴をこぼしている。

一方で、経験の浅い若い先生のクラスでは 子どもたちが目を輝かせて 先生の話を聞いている。

 

なぜこんなことが起こるのでしょうか?

 

答えは、経験による「固定観念の罠」です。

 

「子どもは褒めれば伸びる」

「厳しくすれば言うことを聞く」

「経験があれば何とかなる」

 

これらの常識こそが、 子どもの心を遠ざけている元凶なんですね。

 

特に、多くのベテラン教師が 陥ってしまう落とし穴と言えます。

 

それは「褒め方の固定化」です。

「いい子だね」

「すごいね」

「がんばったね」

 

これらの言葉を何千回と使ううちに、 子どもの心に届かなくなっていることに気づかなくなってしまう。

一方、現場で本当に効果を上げている教師は、全く違うアプローチを使っています。

経験ではなく具体的な方法。

勘ではなくシステマチックな工夫。

これが現場の真実です。

 

私が現場で見つけた、子どもの心に届く方法

私自身も、長い間この「固定観念の罠」に ハマっていました。

「褒めているのに、なぜ響かないんだろう?」

「経験を積めば、きっとうまくいくはず...」

そんな思いで、毎日試行錯誤を繰り返していました。

 

でも、ある日気づいたんですね。

 

子どもが本当に求めているのは 「評価」ではなく、

「自分の行動の意味を理解すること」。

これが全ての始まりです。

 

そこから、私は現場で 一つの方法を編み出しました。

それが「写真を使った価値付けの方法」です。

 

最初は偶然でした。

やんちゃなケンタが 珍しく廊下のゴミを拾っているのを見つけて、

「あ、まって!そのまま、そのまま!」

そう声をかけて、スマホで写真を撮ったんです。

 

ケンタは最初 「え?何で写真撮るの?」 という顔をしていました。

 

でも、その後の帰りの会で その写真を使って話をした時、

クラス全体の雰囲気が 一気に変わりました。

 

子どもたちの目が輝き始めました。

ケンタ自身も 「俺、すげーことしたんだ...」 という表情になりました。

そして何より、 他の子たちも 「私も写真撮ってもらいたい」 という気持ちになったんです。

それから、この方法を さらに工夫して発展させていきました。

今では、やんちゃな子も おとなしい子も、 例外なく自己肯定感が上がる 確実な方法として確立しています。

具体的な方法をお話しします

では、その具体的な方法を 包み隠さずお伝えしますね。

①良い行動を見つけた瞬間の対応

子どもの価値ある行動を見つけたら、 まずはその場で声をかけます。

「あ、まって!そのまま、そのまま!」

この時のポイントは、 子どもを止めることです。

動作を止めて、 その「良い瞬間」を 固定するんですね。

ケンタがゴミを拾っている瞬間、 ユウキが友達を助けている瞬間、 ハルトが静かに本を読んでいる瞬間。

その瞬間を「特別な瞬間」として 認識させることから始まります。

②写真撮影とその場での価値付け

そして、その瞬間を写真に撮ります。

「素晴らしい場面だから、 写真に撮らせてもらうね」

この時、子どもは 「え?何で?」という顔をします。

でも、これが重要なんです。

「何で写真を撮られるんだろう?」 という疑問が、 子どもの心に「特別感」を植え付けましょう。

そして、その場で簡単に 価値付けをします。

「ケンタ、ありがとう。 君がゴミを拾ってくれたおかげで、 みんなが気持ちよく過ごせるね」

ここでは詳しく説明しません。 帰りの会で詳しく話すことを 予告するだけですね。

帰りの会での段階的提示

そして、帰りの会。 ここからが本番です。

まず、子どもたちに こんな風に話しかけます。

「今日、とっても嬉しいことがあったんだけど...」

少し神妙な感じで話します。 子どもたちの注意を引くためですね。

「何だと思う?」

クイズ形式にして、 子どもたちの興味を引きます。

「ヒントは、『とっても素敵なこと』」

ここで、「誰かが何かしらの 素敵すぎることをした」という レベルまでヒントを出します。

子どもたちのワクワク感が 最高潮に達するでしょう。

④写真の段階的公開

「素晴らしすぎて写真を撮ったので、 見せますね」

大型モニターに写真を映します。

でも、最初は「頭だけ」とか 「腕だけ」を拡大して見せることがポイント。

「誰だと思う?」

再びクイズ形式。 子どもたちは大盛り上がりです。

次に、画角を広げて 良いことをしている場面そのものを 提示するんですね。

例えば、ケンタがゴミを拾っている 全体像を見せるんです。

この瞬間、クラス全体から 「おお〜!」という声が上がるでしょう。

⑤価値観の共有と浸透

そして、ここからが最も重要な部分です。

「これ、どう思う?」 「なんで素晴らしいと思う?」

子どもたちに問いかけます。

すると、子どもたちから 「みんなが気持ちよく過ごせるから」 「学校がきれいになるから」 「優しい気持ちになるから」

といった答えが出てくるでしょう。

これこそが、価値観の浸透なんです。

私が一方的に 「ゴミ拾いは良いことです」と 説明するのではなく、

子どもたち自身に その価値を発見させ、 言語化させるんですね。

⑥個人の承認と全体への拡散

最後に、行動した子を みんなで称賛します。

「みんなのために素晴らしい行動を してくれたケンタくんに、拍手!」

クラス全体からの拍手。

この瞬間、ケンタの表情が 輝きます。

そして、他の子たちも 「私も、僕も、そんな風に 認められたい」という 気持ちになってくるんです。

この方法の驚くべき効果

この方法を続けていると、 教室に劇的な変化が起こります。

①子どもたちが良い行動を探すようになる

「先生、写真撮って!」

子どもたちが自分から 良い行動をアピールするように なります。

でも、これは決して 「承認欲求」ではありません。

「クラスのために何かしたい」 という本質的な動機なんです。

ユウキが困っている友達を助けた時、 「先生、写真撮ってもらえる?」と 言ってきました。

ハルトが静かに掃除をしている時、 「これも写真撮って」と お願いしてきました。

②やんちゃな子ほど変化が大きい

特に、やんちゃだった子ほど 大きな変化を見せます。

ケンタは、写真を撮られてから 明らかに行動が変わりました。

授業中に立ち歩くことが減り、 友達に優しく接するようになり、 自分から掃除を手伝うようになりました。

「俺、クラスの役に立ってるんだ」

そんな実感が、 ケンタの行動を根本から 変えていったんですね。

③クラス全体の価値観が統一される

何より素晴らしいのは、 クラス全体の価値観が 自然に統一されることです。

「みんなが気持ちよく過ごす」 「困っている人を助ける」 「クラスをきれいに保つ」

こうした価値観が、 私が押し付けるのではなく、 子どもたち自身の中から 生まれてくるんです。

でも、実はもっと深い工夫がある

ここまでお話しした方法でも 十分効果はあります。

でも、実は私はさらに 細かい工夫を重ねています。

写真の撮り方一つとっても、 子どもの心理に与える影響を 考慮した技術があります。

帰りの会での話し方も、 子どもたちの反応を見ながら 微調整していく技術があります。

どの子にどのタイミングで 声をかけるのか。

写真をどの角度から撮るのか。

どんな順序で子どもたちに 問いかけをするのか。

一つひとつに、 現場で磨いた工夫があるんです。

でも、それらの詳細は それぞれの教室の状況によって 変えていく必要があります。

やんちゃな子が多いクラス、 おとなしい子が多いクラス、 学年による違い、 地域による違い...

すべてを考慮した上で、 最適なアプローチを 選択していく必要があるんです。

あなたのクラスに最適な方法を見つけませんか?

この写真を使った価値付けの方法、 基本的な流れはお伝えしました。

でも、実際にあなたのクラスで 実践するとなると、 もっと具体的な調整が必要になります。

例えば、やんちゃなケンタのような子が クラスにいる場合と、 全体的におとなしいクラスでは、 アプローチを変える必要があります。

写真を撮るタイミング、 帰りの会での話し方、 子どもたちへの問いかけ方...

すべてを、そのクラスの特性に 合わせて調整していくんですね。

また、この方法を続けていくうちに 出てくる新たな課題もあります。

「写真を撮られたがる子」が 増えすぎた場合の対処法。

「なかなか良い行動が見つからない子」への アプローチ方法。

保護者への説明の仕方...

こうした実践上の課題についても、 現場で培った解決策があります。

あなたの具体的な状況を お聞かせいただければ、 最適な方法を一緒に 考えていきたいと思います。

教室はそれぞれ違います。 子どもたちも一人ひとり違います。

だからこそ、その教室に 最適化された方法を 見つけていく必要があるんですね。

 

 

PS.

実は、この写真を使った方法を 思いついたきっかけは、 完全に偶然でした。

当時の私は、ケンタの問題行動に 本当に頭を抱えていました。

毎日のように叱っては後悔し、 褒めても効果が感じられず、 「どうすればいいんだろう...」と 悩み続けていました。

そんなある日の放課後、 疲れ果てて教室で一人 ため息をついていた時、

ケンタが一人で 廊下のゴミを拾っているのを 発見したんです。

「あれ?ケンタが...?」

驚いた私は、とっさに 「あ、まって!そのまま!」と 声をかけていました。

そして、なぜかスマホを取り出して 写真を撮っていたんですね。

自分でも、なぜそんなことをしたのか よくわかりませんでした。

でも、その写真を帰りの会で 子どもたちに見せた時の反応は 今でも忘れられません。

いつもザワザワしている教室が 一瞬で静まり返りました。

そして、子どもたちの目が 一斉にケンタに向かいました。

ケンタ自身も、最初は 恥ずかしそうにしていましたが、 だんだん誇らしげな表情になっていきました。

「これだ...これが答えだ...」

その時、確信しました。

子どもたちが求めているのは 「評価」ではなく、 「承認」なんだと。

しかも、ただの承認ではなく、 「クラス全体での承認」なんだと。

それから、この方法を さらに工夫して発展させました。

写真の撮り方、 見せ方、 話の持っていき方...

すべてを試行錯誤しながら 今の形にしてきました。

今では、どんなにやんちゃな子でも、 どんなにおとなしい子でも、 例外なく効果のある方法として 確立しています。

でも、まだまだ改良の余地があると 思っています。

あなたのクラスで実践してみて、 新たな発見があったら ぜひ教えてください。

一緒に、子どもたちの心に 本当に届く方法を 見つけていきましょう。

学級経営がうまくいかない先生へ。子どもに『負けない』教師になる方法

クラスの子どもの嫌味に感情的になってしまう先生へ。教師が子どもに『負けない』たった一つの方法

 

「え、先生なのに間違ってるー!」

「なんで俺ばっかり注意するんですか?」

「先生の話、ツマンネ…」


授業中に突然立ち上がり、友達の消しゴムを勝手に取って投げる。

注意すると「だって○○くんもやってたじゃん!」と言い返され、 クラス全体がザワザワし始める。

他の子たちは困惑した表情でこちらを見ている。

 

「先生、また始まった...」という空気が教室に漂う。

そして放課後、職員室で先輩教師から

「○組、今日も賑やかでしたね」と言われ、

胸がキュッと縮む。

 

クラスの子どもの嫌味や挑発に、

カッとなってしまった経験はありませんか?

 

多くの先生が「子どもに負けてはいけない」と思っています。

でも実は、教師が子どもに負けない方法は一つしかありません。

 

それは『戦わないこと』

 

「え?それじゃあクラスがめちゃくちゃになるのでは...」

そう思ったあなたにこそ、今日お伝えしたいことがあります。

 

【この記事を読むと分かること】

この記事を読むと、以下のことが分かります:

なぜ「戦わない」教師の方が主導権を握れるのか

✅感情的になる前に相手の心理を読む方法

✅子どもの挑発に動じない3つのステップ

 

「戦わずに勝つ」手法は、実は教室では実在します。「勝ち」の定義を見直すことから全ては始まります。以下に、「知るだけで5秒後には即実践できる」形で書いてます。自信作です。

 

多くの教師が陥る「感情的対応の罠」

リュウヤくんのような子の嫌味や挑発に、つい感情的になってしまう。

これ、実は相手の思うツボなんです。

 

なぜなら、彼らの本当の要求は

「先生、俺にかまってくれよ」だから。

 

感情的になった瞬間、主導権を失う仕組み

担任がカッとして言い返した瞬間、 教室の「主導権」は

担任からクラス児童に移ります。

 

すると教室は一気に「弱肉強食の世界」に変化。

空気に敏感な子たちは、この変化を敏感に察知するんですね。

 

「戦わない」の真の意味

戦わないとは「放置する」ことではありません。

相手の挑発に乗らず、戦略的に対応すること。

 

主導権を握り続けながら、

子どもの本当の要求に応えてあげる。

 

これが本当の「負けない」教師の姿勢といえます。

 

若手時代によく陥りがちな失敗パターン

私がまだ経験年数4年めほどだった頃、

以下のような思いに囚われていました。

 

「きちんと指導しなきゃ」

「舐められてはいけない」

「厳しくしないと」

 

こんな思いから、クラス児童の挑発に真正面から応えてしまう

そういう愚行を繰り返してしまってましたが、

今考えるとこれは本当に非効率。


結果的に教師も子どもも疲弊してしまう。

そんなやり方だったことに気が付きました。

 

実際の教室でのやり取り例

クラス児童:「先生の説明、わかりにくいんですけど〜」

担任:「真面目に聞いていれば分かります!」

 

その子:「えー、でも本当に分からないし〜」

担任:「そういう態度だから分からないんです!」

 

この瞬間、教室の他の子たちは何を見ているでしょうか?

 

子どもたちが感じ取る「主導権の変化」

「先生、あの子に振り回されてる...」

「なんかギスギスしてきた...」

「私も先生に反抗してみようかな...」

 

空気に敏感な子ほど、この微妙な変化を察知します。

そして、学級全体の雰囲気が悪化していく。

 

私は何年も、全く同じように、

この失敗を繰り返していたんですね、、、

 

主導権を握り続ける3ステップ

では、どうすれば主導権を握り続けられるのか?

 

私が以前担任していた

リュウヤくんとのやり取りを例に、

3ステップで解説します。

 

ステップ1:感情の「先読み」をする

挑発される前に、相手の心理を理解する

リュウヤくんが嫌味を言ってくる理由:

  • 注目されたい(承認欲求)
  • 自分がクラスの中心になりたい(主導権欲求?)
  • 先生の反応を見たい(関係性を確認したい欲求)

この心理を事前に理解しておくことで、

挑発されても「お、来た来た」と

冷静に対応できるようになります。

 

実践のコツ

朝の時間に「今日リュウヤくんはどんな調子かな?」と観察。

機嫌が悪そうな日は、事前に「今日は挑発があるかもな」と心の準備。

 

そもそも、「通常モードでも挑発してくる子」

という場合も、もちろんあります。

 

それはそれで、「まあ、コイツはこんなヤツだしな」

ぐらいの、けっこうラフな感じでもOKです。


大事なのは、こちらの「ペースを崩さない」というよりは

子どものペースで乱されないことかな、と思います。

 

ステップ2:「本当の要求」に応える

表面的な挑発ではなく、裏側の要求に注目する

 

【従来の対応】

リュウヤ:「先生の説明、わかりにくい〜」

担任:「真面目に聞いてください!」

 

【3ステップ対応】

リュウヤ:「先生の説明、わかりにくい〜」

担任:「そうか、リュウヤくんには伝わりにくかったんだね。どの部分?」

 

この対応の違いは何でしょうか?

 

従来の対応:

挑発(表面)に反応→感情的対立

 

新しい対応:

要求(本質)に反応→建設的対話

 

この違いですね。

 

実践のコツ

・挑発的な言葉の裏にある「本当の気持ち」を探す習慣をつける。

・「この子は本当は何を求めているのかな?」と自問する。

 

ステップ3:「事前フォロー」まで設計する

叱る場合も、その後のフォローまで戦略的に考える

もちろん、時には毅然とした対応も必要です。

ただし、感情的に叱るのではなく「意図的」に叱る。

この「意図的」が、とっても大事なんですね。

 

戦略的な叱り方の設計

  1. なぜ叱るのか(目的の明確化)
  2. どう叱るのか(方法の設計)
  3. 叱った後どうするか(フォローの計画)

例:リュウヤくんが授業を妨害した場合

  1. 目的:他の子の学習権を守る+リュウヤくんの成長を促す
  2. 方法:クラス全体ではなく、個別に話す
  3. フォロー:翌日、良い行動があったときに必ず声をかける

実践のコツ

叱る前に3秒間、心の中で「目的→方法→フォロー」を確認。

感情的になりそうな時ほど、この習慣が主導権を守ってくれます。

 

3ステップを意識し始めてからの変化

完全に変わったわけではありませんが、

私自身が感情的になる回数は確実に減りました。

 

何より「主導権を意識する」ことで、

冷静に対応できる場面が増えてきたんです。

 

子どもとの関係も、以前のような対立的な雰囲気から、

少しずつ建設的な方向に向かっているのを感じています。

 

経験年数が少なくても変化を起こせる力がある

経験年数が少なくても、この3ステップは

必ず実践できます。

 

大切なのは「完璧にやろう」とせず、

「今日はステップ1だけ意識してみよう」から始めること。

 

主導権を握る教師が手に入れる未来

この3ステップを身につけると:

✅️子どもの挑発に動じない余裕ができる

✅️学級全体の雰囲気が安定する

✅️保護者からの信頼も自然と高まる

✅️何より、教師としての自信を取り戻せる

 

本当の「負けない」教師とは

子どもと戦って勝つ教師ではありません。

子どもと共に成長していける教師です。

明日から、ぜひ試してみてください。

 

実践上の注意点・私が失敗した体験から

私も、とうぜん最初は上手くいきませんでした。

例えばステップ2。

 

「本当の要求に応える」つもりが、 つい

「どの部分が分からないの?教えてあげる」と 先回りしすぎて、

逆に依存関係を作ってしまったこともあります。

 

大切なのは「応える」ことと

「甘やかす」ことの違いを意識すること、ですかね。

 

子どもの成長を促す方向で応えることが重要です。

 

個別の状況について

この3ステップは基本的な考え方ですが、

実際の教室では、お子さん一人ひとりの特性や

これまでの関係性によって、アプローチを変える必要があります。

 

「ステップ2で本当の要求に応えるって言うけど…」

「うちのクラスの○○くんの場合、具体的にはどんな?」

「感情の先読みをしたいけど、 子どもの気持ちが全然読めない...」

 

そんな個別の状況については、 一人ひとりのお子さんを見ないと何とも言えないのが、正直なところです。

概要はお伝えできますが、 その子に最適な対応は、その子を知らなければ分からない。

だからこそ、現場で試行錯誤することが 一番の成長になるのです。

 

 

 

PS.

実は私も、経験の浅い頃は毎日のように感情的になっていました。

特に思い出すのは、ある男の子(仮にリュウヤくんとします)との やり取りで完全に感情的になってしまった日のこと。

授業中に「先生の話、つまんない」と言われて、 思わず「つまらないなら聞かなくていいです!」と 大きな声で言い返してしまいました。

その瞬間、教室がシーンと静まり返って... 他の子たちの困惑した表情を見た時、「あ、やってしまった」と後悔の気持ちでいっぱいに。

家に帰ってからも、そのことが頭から離れず、「私、教師に向いてないのかな...」と 本気で悩んだ夜でした。

でも今思えば、その失敗があったからこそ、「戦わない」ことの大切さに気づけたんですね。

経験年数が少ない先生が今感じている葛藤や悩みは、 きっと素晴らしい教師になるための 大切なプロセスなのだと思います。

一人で抱え込まず、 必要な時は遠慮なく相談してくださいね^^

では、また次の記事でお会いしましょう!^^